109j 問題を持続的に解いていく過程こそ人生であり歴史では?

最近の難かしい日韓関係をみるにつけ、複雑な思いに囚われます。専門家の何名かは「史上最悪」とすら表現していますが、いかなる問題であれ最上級の表現を使う人を私はあまり信用しません。知的怠惰か、政治目的のために動員しやすいことが最上級表現を使う所以だと考えるからです。文世光(ムンセグァン)事件や金大中(キムデジュン)拉致事件があった1970年代半ばと比べて、現在の日韓関係がさらに悪化しているかと問われたとき、彼らは果たして堂々と「悪化している」と答えられるでしょうか。

だからといって、私は現在の日韓関係が悪くないというのではありません。いま、日韓関係は明らかに悪い。ただ、悪い内容と質が過去と異なっているのではないか、といいたいのです。

日本のある学者は、これまで日韓の歴史認識の対立は政治(私見では、修辞)レベルで行われたが、昨年の韓国最高裁の「強制労働判決」をきっかけに、法律的なレベルに格上げされた、と言います。私は、この学者の説に同意します。ですから、日韓対立は以前のような政治的妥協で解決するのが難しくなったと見ています。日韓対立がなぜ法的紛争まで発展したかについては、いくつか分析が出ていますが、ここではその詳細は省きます。

最近の日韓対立は以前とは様相が異なるようです。以前は「水面が濁れば下の水も濁る」という言葉のように、政府関係の悪化に伴って一般国民の関係も悪くなるのが普通でした。ところが、最近は政府関係者とメディアが対立の前面に出ているものゝ、民間レベルではあまりそういうふうには感じられない。周囲の何人かの観察もそのようです。この現象を、私は「官冷民温」と呼びたいと思います。官とメディアは熾烈な殴り合いをしていますが、一般市民は淡々というより一層交流が盛んなのですから。実際、2018年に、政府間対立のさなか、1050万人以上が日韓を往来する1千万人交流時代に入ったのです。

なぜこのような現象が生じるのでしょうか。私の仮説は、1)若者と老人の見方の違い、2)相手国を直接経験した人としていない人の違い、3)専門家集団と一般市民の違いによるというものです。もちろん、他の要因も考えられますし、これら三つの要因が複合していることもあると思います。

1月28日付発行の週刊誌「アエラ」に、ちょうどこのような現象を扱った記事を見つけました。私の仮説をすべて満たす記事ではありませんが、日韓対立の最近の様相を理解するのに役立つ記事です。問題をよく理解しなければ解法もわかりませんから。

どこの国や地域にも問題はあります。問題はそれを起こすために表れるのではなく、問題があるから表われるのです。問題を持続的に解いていく過程が人生であり歴史だとするならば、私たちはもっと冷静に謙虚にこれらの問題に立ち向かわなければならないのではないでしょうか。

108j 日韓の政府間対立を民間・地方に拡散してはならない

日本地域の総領事館は、1月の前半はさまざまな新年会に出席するため、多忙を極めます。大阪総領事館の担当地域(大阪府・京都府・奈良県・和歌山県・滋賀県)における各民団の新年会も5ヵ所で開かれます。ほぼ同じ時期に各地域の成人式(1月14日が成人の日)もあり、新年会とは別に開催するところが多いのです。

これらの行事が同時期に集中しているので、総領事館スタッフが地域を分担して参加します。ことしは4月の地方選挙と7月の参議院選挙があるためか、政党の新年会も活発です。私は、コリアンが多く住む大阪(12日)・京都(11日)民団の新年会、招待状が届いた公明党大阪本部(9日)と立憲民主党大阪府連合(13日)の新年会に出席しました。

ことしの民団新年会の特徴は、二度の選挙のせいか、日本の各政党の国会議員と地方議員が例年より多く参加したことです。大阪民団の新年会には、韓国からジュスンヨン国会副議長をはじめ、9人の与野党議員らも参加し激励しました。強制労働の大法院判決とレーダー照射問題をめぐる対立で冷ややかなムードになるかと心配しました。ところが、幸いなことに、日韓双方を代表して挨拶する人々の思いは、政府間の対立にもかかわらず、民間レベルの交流協力は揺らいではならない、という流れになっていました。

このような節制ムードが形成された背景には、両国関係をめぐるこれまでの経験を通じて、政府間の対立を民間・地方にまで拡散しても何にもならないという学習効果があるのではないかと思いました。政府間に問題があるのは事実ですが、民間レベルでは昨年1千万人以上が相互往来し、第3の韓流ブームもあって良好なムードにあることを強調し、困難な時こそ、友好・協力のために尽力しなくてはならない、と私は挨拶で述べました。

二つの政党の新年会は、選挙を控え出陣式のようなムードでした。公明党の山口那津男、立憲民主党の枝野幸男のそれぞれの党代表が参加するなか、いずれの大会と二つの選挙に出馬する候補者を壇上に立たせ一人ずつ紹介していました。この地域に強い支持基盤を持つ公明党は約2千人が参加し、その勢力を誇示していました。他方、1年前には事務所すらなかった状態から大阪府連合を作った立憲民主党も、約5百人が会場を埋め尽くす盛況ぶりでした。やはり、記事を通して間接的に接する政治と、現場で目で見る政治は異なって感じられます。

107j 「世界」2月号に掲載された慰安婦問題のインタビュー記事

最近発売された総合雑誌「世界」2月号に私のインタビュー記事が掲載されています。タイトルは「慰安婦問題の隘路(あいろ)をどう進むか」で、特集2「戦争の記憶と向き合いつづける」に組み込まれています。

雑誌編集の特性のため、昨年10月31日にインタビューした内容が、2月号(1月上旬発売)に掲載されます。インタビュー前日に韓国最高裁の強制動員労働者判決が出ていますので、インタビューは微妙な時期に行われました。ムン・ジェイン政府の慰安婦政策が日本の人々に正しく理解されていないと考え、インタビューに応じることにしたのです。

「12・28日本軍慰安婦の合意検討TF*」委員長をした者としての責任感もありました。日本の一般市民を対象に、慰安婦問題を捉える現韓国政府の考えを直接伝えることが、この問題に関する日本の市民の理解を深めるのに役立つという考えが何より大きかった、と思います。*taskforce

7ページにわたる長いインタビューのため、慰安婦問題に関連した論点について、比較的詳細に説明することができました。韓国内でいろいろな経路を通じて明らかにした内容であり、このような分量と深みのあるインタビューは日本では初めてなので、記事が掲載された意義は小さくないと思います。

要旨は次のとおりです。12・28慰安婦の合意は、公開された部分だけ見れば一定の成果があったと見ることもできます。ただし、少女像の移転、挺対協の反発の抑制、国際社会における批判の自制、海外の記念碑に対する韓国政府の支援自制などの非公開部分を含む全体を見れば、被害者中心のアプローチでない合意だったのです。そして、日韓はこの問題を国際社会が培ってきた戦時性女性人権問題の解決策に沿って行う必要があると述べました。

日韓間に存在する歴史問題をめぐる対立は、問題の性格上、いっぺんに簡単に解決できるものではありません。日韓間には歴史的な対立に限らず、北朝鮮の核問題をはじめ、協力すべき重要な問題も山積しています。このような対立が暴走しないようコントロールしながら、相互協力の共通分母を育んでいく方法によって日韓の問題を解決していくのが望ましいという意見を述べました。

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106j 2019年の仕事始め

きょうは1月4日、日本の公共機関などが2019年の仕事を開始する日です。大阪総領事館もきょうの午前に仕事始めの行事を催し、ことしの仕事を始めました。

一方、出勤途次の商店街はまだ閑散としています。ことしは4日が金曜日なので、会社や商店街は6日(日)まで休み、7日(月)から始めるところが多いからです。総領事館のドアを開けると、すぐ申請業務のため人々が集まってきました。昨年12月31日からドアを閉めていたため、これまで待っていた人々です。

午前9時半、申請受付の職員を除いて、1階のドリームギャラリーに集まり、仕事始めの挨拶を交わしました。昨年までは、職員のほか、在日コリアン団体や企業の代表を総領事館に招いて仕事始めの行事を行っていました。でも、ことしは職員同士だけにしました。実用性と内実を重視する韓国政府の方針、公館の一時的移転に伴う狭いスペースなどを考慮して、そう決断したのです。

仕事始めに関係者を大勢招待するのは、権威主義的な慣行ではないか、という気もしていたのです。とはいえ、例年あったことがなくなるのを寂しいと思う人々もいるでしょう。今後は、従来以上に奉仕する姿勢を徹底することで、このような寂しさを埋めなければならないと思います。

仕事始めの挨拶では、次の3点を強調しました。

  1. ことし6月末に大阪で催される主要20ヵ国首脳会議を遺漏なく支援する
  2. 君臨せず人々に奉仕する、総領事館の姿勢をさらに推進する
  3. 日韓の友好関係を構築するため、さらに足で飛び回る

仕事始めの挨拶が終わって、昼食時には近くの韓国食堂に調理を頼んでおいた、韓国から運んできたトックを一緒に食べ、韓国の正月の風習である徳談を交わしました。

午後には大阪府・大阪市・大阪商工会議所・関西経済連合会・大阪経済同友会共催の新年会に出席しました。ことし初の対外公式日程です。松井一郎大阪府知事をはじめ、マイクを握ったすべての人々が、2025年の世界博覧会誘致を主な話題にして挨拶しました。

博覧会誘致成功の喜びが関西の政財界を圧倒していることを感じるとともに、関西地域の衰退する経済力を、博覧会を通じて蘇らせてみようという切迫した意気込みも垣間見ました。

内外で行われた二つの仕事始めを通じて、2019年の仕事の準備運動は終了しました。新しい一年と時には闘い、時には歩調を合わせて格闘することだけが残っています。願わくば、その闘技の終わりが笑いであってほしいと思います。

105j 小泉純一郎著『原発ゼロやればできる』インタビュー記事

小泉純一郎前首相のニックネームは「変人」です。韓国式にいえば、「変わり者」くらいでしょうか。

私がハンギョレの東京特派員を務めた時期(2001-04年)は、小泉政権の期間(2001-06年)でした。特派員の期間中、彼が唯一人の首相でしたから、彼が主語の記事もたくさん書きました。二回の平壌訪問と日韓共同ワールドカップ開催、その「劇場政治」は未だに記憶に新しいものです。

首相を辞めて10年以上経つにもかかわらず、いまだに彼は 時々メディアに登場します。最近も、彼の弟子ともいえる安倍晋三首相の改憲推進について「できることはしないで、できないことだけしようとしている」と、容赦なく批判したことが報道されました。ここでいう「できること」とは原発ゼロであり、「できないこと」とは改憲です。

小泉元首相は、昨年12月31日にも「朝日新聞」に登場しました。彼の著書 『原発ゼロ、やればできる』に関連したインタビュー記事です。首相在任時代には原発推進論者だった彼が、2011年の3・11東日本大震災以降、原発廃止論者になったことは知っていましたが、その具体的な理由が気になっていました。2014年の東京都知事選挙では、脱原発政策で連帯し、野党系の無所属候補として出馬した細川護煕元首相を応援しています。

インタビューで彼は(首相在任中)経済産業省のいう「原発は安全、低コスト、きれい」ということを信じていたが、すべて嘘だった、といいます。当時、原発が危険だという人もいたが、真剣に聞かずに騙された反省をこめて、日本は原発がなくてもやっていけるということを知らせなければならないと考えた、といいます。

原発が安いという意味は、政府が支援しなければ原発は不可能で、政府が支援せず税金も使わなければ原発のほうが高い、と彼は説明します。原発なしでエネルギーを交換できるか、という質問に対しては、3・11の原発事故から2年原発はまったく稼働しなかったが、停電はなかった、と強調します。

安倍首相にも経済産業省に騙されてはならないと伝えたが、反論せずに苦笑していただけだといい、安倍首相が原発ゼロに打って出れば、すぐムードが一変するのだが、と彼はいいます。このインタビュー記事を読んで、彼の考え方は180度変わっても、変人気質は変わっていないと思いました。

一方、総合雑誌「世界」1月号は、ムン・ジェイン政府の新古里原発5・6号機の建設をめぐる国民的論議のプロセスを批判的に検討した記事を掲載しており、興味深く読みました。筆者の高野聡氏は、日本が学ぶべき教訓として、国民的論議の結果をそのまま政策に受け入れることで賛否両論を過熱させてしまう問題、「歪曲過熱報道」に備えるメディア対策の必要、歪曲された報道を想定した制度設計の必要、一過性でない継続的な国民的論議の必要を提起しています。日本も、原発政策、憲法改正問題など、社会的対立が大きい政策について「熟議民主主義」を実現する可能性があるとしています。

104j 2018年の仕事納め

12月28日(金)は2018年の仕事納めの日です。韓国の年越しは元旦だけが休日です。日本でも韓国と同じように、公式の休日は1月1日だけなのですが、その前後、土日を含んで一週間ほど休むことが慣例になっています。それで、日本地域の韓国公館もこれに合わせて仕事納め・始めをします。

大阪総領事館も12月28日が仕事納めで、新年1月4日が仕事始めです。12月28日の午後には、1階の講堂で飲み物やお菓子、フルーツなどでささやかな仕事納めをしました。一部の職員は外部の活動や申請業務があるため、全職員が一堂に会すことはできませんでしたが、お互いを励まし一年を終える有意義な行事だったと思います。

仕事納めをした講堂は、11月17日から始まった民族学校・民族学級生徒による美術作品を展示しているので、一層意義深かったと思います。私たちは、この展示会を準備する過程で、この場所を「ドリームギャラリー」と名付けました。いま振り返っても妙案だったと思います。この展示会は、これまで在日コリアンや韓国国民が疎遠に感じていたであろう総領事館を、互いに行き交う親しみあるスペースに変えようとする企画の産物です。

特に、在日社会の未来を担う若い青少年コリアンと行き交う場所という点では、ドリームギャラリーという名称はとても適切だと思います。また、さらに低姿勢で親切に国民に奉仕する公館になろうという私たちの運営方針を象徴するスペースだとも思います。

大阪総領事館の職員は、きょうの仕事納めにおいて、2018年に関西地域を襲った数々の災害に際してよく協力して克服したように、来年も「奉仕する」総領事館になるようさらに努力する決意を新たにしました。

来年も多くのご激励とご支援をお願いし、大阪総領事館を代表して年越しのご挨拶とさせていただきます。 「みなさん、一年を有終の美でしめくくり、よい新年をお迎えください」

103j 日韓の文化差; 国立民族学博物館

先週ソウルで開かれた在外公館長会議に出席して戻って来ました。それで、気持ちの上でも時間的にも忙しく過ごしています。日韓の間には、物理​​的な時差はないのですが、明らかに文化的な差「文化差」ともいうべきものがあることを感じます。

そんな文化差のなか、大阪でのルーティン業務に復帰した初日の20日、吹田市にある国立民族学博物館を訪問しました。ずっと続けてきた業務ですが、しばらくの空白と文化差のせいか不馴れな感じがします。

国立民族学博物館は、1970年に大阪万博が開かれた場所(現在は自然文化公園)に位置しています。博物館のすぐ近くに大阪万博のシンボル「太陽の塔」が立っています。 1977年に開館した博物館は、民族博物館として世界最大規模だといいます。この博物館の施設は大学院教育の機能も備えており、文化人類学などの博士を輩出しているそうで、これも世界で唯一だそうです。

吉田健司館長ほかにお会いし、博物館の説明を聞き、文化を通じた交流の活性化と友好増進のために協力しようと話しました。もちろん、参加者全員が文化に対する理解が交流の基本であるということを共有しました。

吉田館長との面談を終えて韓国文化の専門家である太田新平博士の案内で、東アジア館の韓国文化と日本文化の展示だけを見学しました。今回は時間がなく、短縮した部分的な見学にとどまりましたが、次はぜひ全体を見たいと思います。

展示館はオセアニアを皮きりに、東に戻って世界を一周した後、最後に日本に到達するようになっています。全体を見るのに約4時間かかるそうです。展示物の構成もよく、日本特有の繊細さを加えた家屋などのミニ展示物も実に精巧にできています。

102j 大阪道修町にある創業300年の小野薬品工業

4月に赴任して以来、所管地域の主要企業を訪問しています。6月の三洋化成工業を皮切りに、パナソニック日本電産京セラオムロン村田製作所大和ハウス工業など、さまざまな会社を訪問しました。そして、12月7日、ことし最後の日程として、小野薬品工業の本社を訪問しました。

小野薬品工業は、2018年のノーベル生理学医学賞を受賞した本庶佑京都大学特別教授の研究をもとに、免疫システムを利用したがん治療薬「オプジーボ」を開発し、販売している会社です。大阪総領事館の臨時オフィスから徒歩5分程度の至近距離にある会社だということを、今回の訪問を準備するなかで初めて知りました。そこで、相良暁社長にお会いするとすぐ「隣人として、このように世界的な話題になる会社が現れたことをお祝いします」とあいさつしました。

江戸時代から薬種問屋街で、現在も薬品関連企業が軒を連ねる道修町(どしょうまち)において、小野薬品工業の前身は300年前(1717年)に薬剤商としてスタートし、1947年に製薬会社に転換しました。現在は3500人程度の従業員が勤務する、日本では中規模の製薬会社です。日本の大規模な製薬会社の社員数は7千人以上に上るそうです。同社は韓国にも50人規模の販売会社を運営しています。

小野薬品工業の優れたところは、中規模の会社でありながら、大企業にとっても難しい、長期に及ぶ投資を通じてオプジーボのような画期的な新薬を開発したことにあります。もちろん、関西地域には京都大学や大阪大学など、基礎医学研究が充実した大学が多く集まっており、新薬を開発する環境が整っているといえます。それでも、中規模の会社が新薬開発に手を出すのはリスクが大きいと言わなければなりません。相良社長は「新たな領域に挑戦する社風と研究欲、これを支え新たな市場を開拓しようとする経営陣の決断が、このような結果をもたらしたのです」と述べました。

同社長はまた、韓国法人の本社にも韓国人のほかさまざまな国の人材がいるといい、韓国の若者たちは思いが熱く、国際舞台で仕事する進取の気性が強いようだと評価しました。また、韓国の製薬業については全体として日本の業務より劣るものゝ、複数のバイオ分野で革新的な新薬を出すなど、大きく発展していると分析しました。

101j 大阪の各国総領事一行、静岡県の招聘で静岡を訪問

12月4日、静岡県が主催する大阪領事団招待事業で静岡県を訪問しました。静岡県の海外広報事業であり、ことしで4年目になります。イタリア、インド、インドネシア、中国、パナマ、モンゴルの総領事ほかと一緒に参加しました。

はじめに「東海道五十三次」で有名な浮世絵師・歌川廣重の作品ほかを集めた静岡市東海道廣重美術館を訪問しました。浮世絵は江戸時代(1603-1868)に隆盛した木版画で、絵師・彫師・摺師たちが分業して制作しました。

続いて、昨年末にオープンした富士山世界遺産センターを見学しました。世界的な建築家である坂茂(ばん しげる 1957-)氏の設計により、富士山が最もよく見える場所に建てられたそうです。当日は残念ながら天気がすぐれず、本物の富士山は見られませんでしたが、センター内に展示された写真や動画などを通じてさまざまな富士山を見ることができました。

fujisan-gal_img1写真: 富士山世界遺産センターのサイトより

センターの建物は富士山を逆さにした形で、センター前の池に本来の富士山の形が映るのをユニークに思いました。1日に1500人程度の来客があり、ほぼ京都国立博物館や奈良国立博物館レベルの入場者だそうです。続いて、静岡地震防災センターに行き、津波の恐ろしさと対処方法を示すビデオを見て、地震のシミュレーション体験をしました。

静岡県庁で川勝平太知事のお話を聞いた後、夜大阪に帰ってきました。知事の説明によると、静岡県は人口(370万人)と総生産規模がニュージーランドに似ているそうです。東京と大阪に独立国のように静岡県の事務所「ふじのくに領事館」を置き、国籍や人種に関係なく共生することを県の方針にしているとも述べていました。「ふじのくに」と呼ぶのは、精神的な独立を強調するためだそうです。画一的な政策や事業にしがみついている韓国の自治体にとってよい参考になると思われます。

100j 渡来人・行基・雨森芳洲・朝鮮通信使・滋賀県民団70周年

12月初の週末1日と2日、滋賀県に出張しました。2日に開かれる滋賀県の民団創立70周年記念式に出席する機会に、前日に現地入りし、韓半島と深い縁のある二つの寺院、金剛輪寺と百済(ひゃくさい)寺を訪ねました。

江戸時代を通じて12回に及んだ朝鮮通信使のうち10回が滋賀県を経由しており、宿泊先の施設などに通信使一行の痕跡が多く残っています。通信使が通行した街道を表示する「朝鮮ガモ」の標石があり、当時の古道もあちこちにそのまま残っています。通信使と関連が深い雨森芳洲翁の出身地ということもあり、地域と通信使との縁も深いのです。翁が生まれた長浜市高津町には雨森芳洲庵があります。昨年末、通信使の記録がユネスコ記録遺産に登録され、芳洲庵に保存されている書籍や記録などの多数が遺産に登録されています。

民団の記念式会場の入り口には、長浜市と通信使に関するドキュメンタリーふうの展示パネルが置かれていました。市が作成したものです。こういう歴史的事実を初めて知るかのように、在日コリアンの多くが行事の合間に見入っていました。日本の最短首相の記録を持つ滋賀県出身の宇野宗佑(1922-98)家に伝わる通信使の詩文も展示され、注目されていました。

滋賀民団は通信使をはじめ、古代から韓半島と交流が盛んだった地域の特性を生かしながら、民間交流を活性化していくことを宣誓しました。この日の行事には、大法院の強制徴用工判決で日韓関係が困難な状況にあるなか、三日月大造滋賀県知事ほか有力者も多く参加し、民団70周年を祝っていただきました。

12月1日、百済(4世紀前半-660)またはそれ以前から韓半島と関連が深い百済寺金剛輪寺を訪ね、ご住職から朝鮮半島と寺院にまつわる話を聞きました。日本では百済という漢字をクダラと読みますが、漢字音そのままのヒャクサイと読んでいることからも、百済(ペクチェ)と縁の深いことがわかります。金剛輪寺は百済系の僧侶である行基(668-749)が創建した寺院ですが、以前からこの地域に影響力を持っていた渡来人秦(はた)氏の祈祷の場であったと伝えられているとの説明を受けました。

滋賀県は、京都や奈良ほどには韓国によく知られていませんが、古代に東海(日本海)を渡ってきた韓半島の渡来人たちが文化を伝播し、朝鮮時代(1392-1910)には朝鮮通信使の主要経路として、韓半島との縁が深く、また広いところです。そんな歴史的事実をあらためて知らされた1泊2日でした。