122j 日本に自然災害の恐怖があるように戦争の恐怖がある韓国

東京には日本記者クラブ(JNPC)があり、大阪には関西プレスクラブ(KPC: Kansai Press Club)があります。JNPCは全国組織で、新聞・放送・通信社や記者などが参加する会員制の非営利団体です。

KPC*もJNPCと似ていますが、会員を関西地域に拠点を置く報道機関と企業や大学等に限定しています。JNPCとは別の独立した団体であり、関西からの情報発信強化をめざしています。いずれの団体も、ニュース性のある人物を招待して講演会を催すことを主な事業にしています。 *KPCの前回講演: 京都大学IPS細胞研究所長の山中伸弥教授(2月1日)

3月13日、関西プレスクラブにて「ムン・ジェイン政府と韓半島の平和政策」というテーマで講演を行いました。このような講演は準備も必要なため、ふつう1ヵ月以上前に日程を決めます。私も1ヵ月以上前に要請を受けましたが、その時点で2月末のハノイ米朝会談開催も決定されていました。進展した合意に至ることが確実視されていたので、喜んで、軽い気持ちで要請を受けました。

ところが、講演会を前に事態が急激に反転しました。ハノイ会談は期待された合意に至らずに会談を終えました。このため、講演内容を当初の考えから大きく修正しなければなりませんでした。精神的な負担も大きくならざるを得ませんでした。

悩んだ末に、朝鮮半島におけるこれまでの状況と、ムン・ジェイン政権が推進する朝鮮半島政策内容とその背景、ハノイ会談以後の展望と日本の役割等について解説することにして準備しました。多くの国々のなかで、特に日本は朝鮮半島の平和の流れに対し冷たい視線を送っているように思われます。このような時こそ、より積極的に朝鮮半島で起きている変化を知らせる意味が大きいと考えたからです。最近、日韓関係は歴史問題をめぐって困難な時期にあります。だからこそ、日本の市民や言論人等と活発にコミュニケートする必要があるとも考えました。

講演では、日本にあまり知られていない韓国政府の考え方、大統領の哲学、政策の背景に重点を置くことにしました。例えば、日本に地震や台風などの自然災害に対する恐怖が大きいとすれば、韓国には日本の災害に相当するものとして戦争の恐怖があることを知ってほしいと考えたのです。民主主義と市場経済という共通の価値観と制度を共有する韓国と日本の協力が、朝鮮半島の平和構築プロセスに非常に重要であることも強調しました。

約50分の講演後に設けられた質疑応答の時間、質問は予想どおり日韓関係に集中しました。私は「現在の日韓関係は天気でいえば、雪が降っている状態ですが、いつしか雪がやむ時期が必ずやって来ます」と話しました。また、基本的な歴史認識の違いがある歴史問題は容易に解決できない、互いをよく知り、協力しやすい経済・文化・人的交流をさらに強化しながら改善を図っていくことが望ましい、という意見を述べました。

プレスクラブの講演のせいか、複数の地方紙や放送局が講演内容を記事にしました。その一つ、NHKの報道をご参照ください。
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190313/0013444.html

121j 大阪にある国立大学法人の大阪教育大学

大阪には総合的な教師養成機関、国立大学法人の大阪教育大学があります。韓国の教育大学が主に小学校の教員を養成するのに対し、日本では幼稚園から高校の教員までを養成します。

大阪教育大学は学部の教員養成課程のほか、教育心理学・健康安全科学等を専攻する一般課程も設けています。附属学校だけでも幼稚園・小・中・高を含め11校あり、全国的に知られた天王寺高等学校も大学附属学校の一つです。

大阪市からみて奈良県寄りにある柏原市の山すそに主キャンパスがあり、大阪市内の天王寺にもキャンパスがあります。12日、私は大阪教育大学の柏原キャンパスを訪問しました。ちょうど後期入試の日だったので、出入りの手続きが少し面倒でした。キャンパス内を車で進みながら、上り坂を登る学生は大変だろうなと思いました。登って振り返ると、正門から山の上のキャンパスまで長いエスカレーターがあるのに気づきました。

この大学は学生と教授等を含め5千人規模の大きな教育大学で、卒業生の約60%が教職に就くといいます。教職は労働時間が長い重労働のため、教職以外の仕事に就く卒業生も多いそうです。東京・大阪等の大都市にある教育大学にこの傾向が強いようです。

栗林澄夫学長によれば、大阪教育大学は韓国のソウル教育大学、梨花女子大学、全州教育大学、忠南大学、公州大学、清州教育大学、大邱教育大学、大邱韓医大学等と学生交換交流を実施しており、多文化共生時代に備えるためにも、今後は近隣の韓国と交流を盛んにしたいとのことです。

学長はまた、柏原地域は植民地時代(1910-45)に強制徴用された韓国人が多く住んでいた地域で、人権運動も活発だったと述べました。古代に朝鮮半島からの渡来人が最初に到着し、大和川沿いに奈良に移動した地域でもあるそうです。

こういう経緯を思い起こして日韓の長い交流の歴史を見るならば、最近の対立など一瞬のことで、相互理解と交流が重要であると、学長は強調されました。日韓関係がよくないため、肩の荷が重いときにこのような言葉を聞くと、心底から温まるような気がします。

この大学には二つの特色があります。一つは全国共通の利用施設、学校危機メンタルサポートセンターを運営していることです。2001年に同大学附属池田小学校では、凶器を持った襲撃犯が生徒8人の殺害を含む23人を殺傷する事件が発生しました。この事件を契機に同センターを建設したのです。もう一つは、学生間のいじめや不登校等の問題に対処するための連合教職大学院を運営していることです。この大学院には関西大学と近畿大学が共に参加しています。

120j 三一運動から百年

ことしは三一運動(1919年)から百年になります。韓国(当時は朝鮮)で三一運動が起きる前、東京にいた韓国人留学生が2.8独立宣言を発表します。これが起爆剤となり、三一万歳運動を経て4月11日に上海で韓国臨時政府が樹立されます。このような歴史的経緯をもつ三一運動の百周年を迎える在日コリアンには格別な思いがあると思います。

三一運動に先立つ2.8独立宣言は東京を中心に進められました。そのため、他の地域は深い関係がないと思われがちですが、大阪総領事館の所管地域にも三一運動の意味を振り返る機会と催しがありました。

2月14日、大阪総領事館と韓国散文作家協会の共催で、尹東柱および彼とその詩を日本に紹介するのに尽力した日本の詩人、茨城のり子の二人を追悼する行事を開催しました。大阪韓国文化院では、尹東柱の詩のハングル書芸展を開催しました。尹東柱は三一運動に関与していませんが、非暴力と平和共存を訴えた三一運動の精神は、尹東柱の生と詩精神に通じるものがあると思います。

例年、 三一節には大阪総領事館の所管する2府3県(大阪・京都府、滋賀・奈良・和歌山県)において民団主催の記念式典を催しています。ことしは総領事館の領事全員が各地域を分担して全地域に赴きました。韓国政府が三一運動百周年を意義深く考えていることを、体と行動で伝えたかったのです。

各地の民団も、映画 「密偵」を上映し(大阪)、講演会(京都・奈良・滋賀・和歌山)を催すなど 、例年とは違う工夫をこらしました。私は大阪民団の式典に出席し、以下のことに注目しました。従来とは異なり、表彰台を壇上に置かず参加者と同じレベルに設けていました。三一運動に限らず、脱権威主義、国民と協働するムン・ジェイン政府の政策が在日の社会にも定着しつつあることを実感しました。

式典の開始前には、民団が自主製作した三一運動百周年の日韓関係史ビデオが上映されました。年月とともに歴史を忘れてしまう後続世代を教育するための自主努力だといえます。第三者の専門家が作る優れた制作物よりも、民団が自ら作る素朴な制作物のほうが貴重だと思いました。

日韓の政治的対立を心配するコリアンの声も多数聞きました。ことしの大統領スピーチでも、彼らは日韓関係に特に鋭く反応していました。最近の対立ムードのなかでスピーチがないことも心配されましたが、フタをあけてみると、今回のスピーチに日本批判はなく、未来志向の協力を強調する内容がほとんどでした。彼らの表情と言葉に安堵(あんど)し歓迎するムードを感じました。特に「過去の歴史は変えられないが、未来の歴史は変えることができる」という一節がコリアンの胸に響いたようです。

119j 困難な時期に開催した京都市国際交流協会主催フォーラム

京都市にある公益財団法人京都市国際交流協会が主催する毎年恒例の<チョゴリと着物>というフォーラムがあります 。日本に暮らしながら、自らの考えや意見を言う機会がなかった在日コリアン一世と二世の話を聞く場として、1993年に始まったといいます。第20回を迎えた2013年から在日コリアンや日韓関係に関連する人を招待し、対談形式にしてシーズン2を実施しています。 第26回のことしは、急変する朝鮮半島情勢を考慮して、<激動する韓半島をめぐって: 東アジアの過去・現在・未来>をテーマに2月23日と3月2日、連続フォーラムを開催します。

光栄なことに、私は23日のフォーラムの対談ゲストとして招待を受け参加しました。対談のテーマは「韓国のムン政権がもたらしたもの」、対談の進行は小倉紀蔵京都大学教授でした。小倉教授はソウル大学哲学科博士課程で韓国哲学を学び、『韓国は一つの哲学である』『朝鮮思想全史』などを著わした「知韓派」です。参加者は60人程度で、約半分が在日コリアン、残りの半分が日本人だったように思います。

日韓関係が強制徴用工の大法院判決をはじめ、さまざまなことで悪化している時期でもあり、たいへん負担を感じるフォーラムでした。とはいえ、このように困難なときにこそ直接市民と会って韓国側の話を伝えることに意味があると考え、対談に応じました。

開催日が近づくにつれ、私の発言一言が波紋を呼ぶかもしれない微妙な状況だからか、緊張し、どうして応じてしまったのか後悔する気持ちも生じました。フォーラム会場の京都国際交流会館は南禅寺付近の風光明媚なところにあり、春の陽気がただよう天気でしたが、それさえも緊張をほどくには不十分でした。

対談は初めジャーナリスト出身で外交官になった背景など、個人的な滑らかなテーマで始まりました。でも、すぐにムン・ジェイン大統領は反日なのか、三一節百周年で日韓関係はより困難になることはないのか等、徐々に難易度が高いテーマに移りました。もちろん、慰安婦問題は、強制動員判決、北朝鮮の核問題をはじめとする韓半島問題と日本の役割、双方のマスコミの問題、在日コリアンの役割など、ホットな問題も話題になりました。対談も対談ながら、質疑応答の時間には、厳しいことで有名な京都人らしく困惑する質問がさらに多く噴出しました。

私はいかなる質問も避けることなく、限界のなかで最善を尽くして回答する姿勢に徹しました。現在の韓国政府を反日・親北と見る日本の見方は間違っている、強制動員の判決をめぐる対立は植民地支配の性格規定を回避したまま結ばれた1965年の日韓協定の矛盾が明らかになったため解決が容易でない、朝鮮半島の平和定着に日本の役割が重要であり、今後さらに大きくなる、などの意見を明らかにしました。

また、現在、日韓は困難な関係にあるが、共通する要素と価値観を共有しているので、長期的には関係がよくなるし、また、そうなるように互いに努力したい、とも述べました。在日コリアンには、日韓関係の悪化により困難にさらされていることを申し訳なく思うが、これまでの不屈の精神により、日本社会の困難を克服しきたように、今回も力を合わせ、現今の困難を克服していきたい、と訴えるしかありませんでした。

緊張の3時間に及ぶフォーラムを終えて、回避することなく応じてよかった、という気持に包まれました。

118j 訪ねていく市・区役所方式の対民間サービス

2月22日、 大阪総領事館は 海外の韓国民・コリアンを対象に新たなサービスを披露しました。すでに行われていることに事後対応するのではなく、事前に国民・コリアンの必要を理解し、事前に対応する方式です。総領事館内ではなく、彼らのいる現場に訪ねていって行う現場中心の方式です。韓国ではソウル市のパク・ウォンスン市長が最初に立ち上げ、いまや全国に広がった「訪ねていく市・区役所」方式の対民間サービスを海外公館でも試みようという趣旨です。

この日の午後、大阪民団の会議室で大阪総領事館の改築担当領事と家族関係担当領事が、コリアン100人を相手に説明会を開催しました。大阪にある民族系学校の白頭学院と金剛学園の 関係者も出席し、学校紹介の時間を設けました。

総領事館の改築に関する説明を行ったのは大阪のコリアン社会と総領事館ビルの緊密なつながりがあったからです。現在、改築のために解体されている旧館は1974年に韓国民・コリアンの募金により大阪の中心街、御堂筋の真ん中に建てられたものです。このような経緯のため、新館の建設予定と進捗状況に関するコリアンの関心はとても大きいのです。建設工事の進捗状況は総領事館のサイトに3週間ごとに知らせています。これとは別に、コリアンに対し直接説明するのが礼儀だと考え、説明会の冒頭に総領事館の改築状況についてお話しすることにしたのです。

なお、在日コリアンの総領事館相談サービスで最も多い相談は、財産相続、兵役、国籍などの財産と実生活に密接した家族関係やサービスです。最近、在日コリアン社会は一・二世から三・四世へと本格的に 交代する時期にあり、これらの分野に対する関心が大きいのは当然です。そこで、家族関係や国籍担当の領事が直接説明することにしたのです。

民族学校は困難な状況にあって、数十年じっと耐え、民族のアイデンティティを守りつつ、日本社会に適合しながら暮らしながら、日韓双方に貢献する人材を育成しています。ただ、現実として生徒数が減り続ける困難な状況にあります。このように大きな役割を果たしている民族学校を活性化する近道は、コリアン自身が民族学校の必要性と重要性を理解し、成果を知って支援することです。このように考え、民族学校の説明会をこの機会に行うことにしました。

今回、説明会の参加者個々に評価を尋ねることはしませんでした。ただ、彼らの集中度と熱気あふれる表情から一定の満足感をうかがうことができました。このような説明会が一回のデモにとどまることなく、「仕(つか)える総領事館」を象徴する恒例行事になるよう求められているように思いました。

116j 詩人尹東柱が福岡刑務所で獄死した2月16日

詩人の尹東柱(ユンドンジュ 1917-45)は収監されていた日本の福岡刑務所で1945年2月16日に獄死しました。詩人の命日前後に毎年、京都で追悼行事が行われています。詩人が通った同志社大学キャンパスでは彼の命日前の土曜日に追悼行事を催し、彼の下宿先(現在は京都造形芸術大学キャンパス前)では命日に追悼会を催しています。

ことしは命日が土曜のため、同志社大学は16日に追悼会を催し、京都造形芸術大学は土曜が休みのため、前日の15日に催しました。

このような事情から、二日続けて京都で尹東柱追悼会が開かれ、私はいずれも参加しました。また、14日には三一運動百周年を記念し、大阪総領事館と韓国散文作家協会が共同で「尹東柱と茨木のり子の出会い」を讃える行事を大阪で開催しました。詩人の茨木のり子氏(1926-2006)は大阪生まれです。彼女が尹東柱について書いた文章が、今も日本の高校の現代文の教科書に載っています。

主催者として、私もこの行事に参加しました。三日連続で尹東柱にまつわる行事に参加したのです。これらの行事を通じて、ユン詩人についてよく知っているつもりでいながら知らなかった多くのことを集中講義で学びました。また、日韓双方を代表する尹東柱の研究者、専門家の講演と話を通じてユン詩人にまつわる、日本における多くの事実を新たに知ることができました。

日本の高校現代文の検定教科書(筑摩書房)に尹東柱の序詩を含む茨木のり子氏(1926-2006)の文章が1990年から掲載された経緯(当時、筑摩書房の編集者だった野上龍彦氏の同志社大における講演)を知り、同志社大の創設者、新島襄の記念像さえ一体もない同志社大に2005年、尹東柱の詩碑が建てられた裏話、同志社大のチャペル前に建てられた詩碑が、韓半島のある西を向き、詩碑の北側にツツジ、南側にムクゲを植えたということも関係者から聞くことができました。

14日には、詩人尹東柱を日本の教科書に紹介した詩人としてのみ知っていた茨木氏が日本で最も反戦平和に徹した秀でた詩人だったことを知りました。また、70-80年代の厳しい時代に二人の兄上が韓国の刑務所に収監されていた徐京植(1951-)東京経済大学教授が茨木氏の詩と邂逅し、それを通じて詩人に会った話は、涙なしには聞けない歴史のひとこまでした。

三つの行事を通じて痛感したことは、早世した薄幸な詩人の人生と詩が今も生き続け、日韓の市民連帯の強い絆となっているということです。そして、後世の人々が何をなすべきか、警鐘を鳴らし続けているという事実です。

私は三つの行事それぞれで挨拶をしました。三一運動百周年の年に開催される尹東柱の追悼行事は格別意義深いと述べました。そして、日韓関係が良くないときだからこそ、三一運動と尹東柱に共通する平和・非暴力・人道主義を活かし、日韓友好のために尽力するよう呼びかけました。

115j 学校法人理事長が韓国人の大阪経済法科大学

大阪経済法科大学は韓国人が学校法人理事長を務める、日本でただ一つの私立大学だと思われます。 1971年に設立されたこの大学は当初、経済学部と法学部のみでしたので、大学名も経法大学です。

現在は経済学部・法学部のほか、国際学部・経営学部(今年新設)と大学院経済学研究科を置いています。学生数は3000人ほどの、日本では小規模な大学です。

2月12日、八尾市の生駒山麓に位置する大学を訪問し、田畑理一学長にお会いしました。田畑学長は、ロシア経済を専攻した経済学者です。前職の大阪市立大学で韓国の全南大学と大阪市立大学の交流を全面的なものにするのに尽力されたそうです。その縁で韓国に関する知識と愛情が深い方です。

この大学は、海外留学生が全体の17%、500人程度だそうです。留学生の出身国も中国・韓国・ベトナム・中央アジア諸国を含めて10ヵ国になるそうです。留学生の離脱がほとんどない秘訣を尋ねると、学校と縁がある人の紹介でやって来る学生が多く、学生を叱っても大丈夫な学生と大学との強力な人間関係を作るのに神経を使うとのことでした。

崇実大学、慶尚大学、梨花女子大学、韓国学中央研究院などとも活発な交流をしています。大学のスポーツ分野では、テコンドーが有名だそうです。キャンパスに広開土王碑のレプリカが建てられているのが注意を引きました。多くの学生と教授は日本人ですが、随所に韓国の香りが息づいているのを感じました。

114j 慶北慶山市と姉妹提携している京都府城陽市

2月9日(土)、京都府城陽市を初めて訪問しました。宇治市の南にある人口約8万人の小さな市で、日本の10円硬貨に刻まれた文化財の平等院鳳凰堂・ウトロ村・尹東柱の第三の詩碑があります。

この日、城陽市日韓親善京都さくらとムクゲの会(略して「桜とムクゲの会」)の設立35周年記念式典が開催されました。 35周年という節目の意味もありますが、城陽市が大阪総領事館の所管地域はもちろん、全国的にも有名な民間交流のモデルということもあり、喜んで参加しました。

城陽市は現在、慶尚北道の慶山市と姉妹都市であり、大邱市サッカー協会、少年少女や女性、大学サッカーなどと交流しています。1982年に京都を訪れた韓国の少年サッカーチームと城陽市チームの親善試合がきっかけで、83年に日韓親善協会が設立され、少年サッカーを中心に交流を拡大してきました。2004年、独島をめぐる対立の余波を受けて一時中断されましたが、民間交流の重要性に共鳴する双方関係者の努力により、今では少年サッカーにとどまらず、さまざまな分野で広く深い交流が行われています。

城陽市のさくらとムクゲの会は、このような功労を認められ、2017年に日本の皇族出身で、日韓交流にご尽力された高円宮殿下を称えるために設立された高円宮記念日韓交流基金から賞を受けました。この受賞をきっかけに城陽市の少年サッカーチームは、この勲章とサクラとムクゲを胸章にしたユニフォームを着ています。この日の記念式にも少年サッカーチームのメンバーがそのユニフォームを着て壇上に上がり、「故郷の春」「希望の国へ」など韓国の歌を歌いました。高円宮記念日韓交流基金の須々木智行事務局長も参加し、祝辞を述べました。韓国からも、サッカー交流に当初から関わってきたキム・ソンヨル大邱広域市のサッカー協会長ら2人が参加しました。

日韓双方の来賓が異口同音に指摘したのは、最近の政治・歴史認識問題のため政府間関係がよくないこういう時こそ民間交流をさらに熱心に推進しようということでした。2005年から10年に会議の会長を務めた古瀬善啓名誉会長は、交流が中断していた当時の市長、今道仙次市長の提唱する “people to people” “心と心の交流”が重要であり、交流再開に大きな力になったと、当時のことを思い起こしていました。昨今の状況にふさわしい言葉であり考えだと思います。

大阪総領事館の所管地域では城陽市のほか、岸和田市(大阪府)守山野洲市(滋賀県)が活発に民間交流を行っています。これら地域では、団体の代表者と市議会議員など地域の指導層が積極的に参加しています。そのもとで、スポーツ交流などの強力な接着剤があり、全力で交流を率いる献身的な活動家がいることが共通しています。

113j 大阪日日新聞のインタビュー記事

大阪地域の日刊紙<大阪日日新聞>から、最近の日韓関係と民間交流、朝鮮半島情勢などについてインタビューの要請を受け、1月31日に応じました。その記事が2月7日に掲載されました。

最近の日韓関係について、私は、戦時強制動員労働者の判決など、政府間の対立が肥大化したことは事実だとしつつ、問題の根本的な原因は、過去の歴史をきちんと決着させないまま、1965年の日韓基本協定が締結されたことにあるとしました。ですから、感情を前面に出さずに双方とも冷静に解決策を模索しなければならないと述べました。

届いた新聞を広げてみると、記事は5段広告を除く全面サイズの掲載でした。また、サイズより内容が重要とはいえ、顔がでかでかと載っていて、照れくさい気がしました。記事の内容は、私が述べたことをよくまとめてあり、安心しました。

ただし、以前とは違い、政府間は冷めていても、民間交流は温かい「官冷民温」現象も見られることを指摘しました。両国の人的交流が昨年初めて1千万人を突破し、両国とも若年層を中心に韓流・日流ブームが起きていることに注目する必要があるとも述べました。

2025年に大阪で高齢化時代に焦点を当てて開催される国際博覧会は、日本に次いで高齢化社会に向かっている韓国にも多くの示唆を与えるものです。歴史的・文化的に昔から韓国と縁が深い関西地域が日韓友好のメッカとして定着するよう尽力すると付け加えました。

朝鮮半島で最近起こっている平和への動きと関連し、類似の価値と制度を共有する二つの国の協力と連携が必要だとも強調しました。また、記者出身として、両国のマスコミが「当局者の言葉を伝えること」中心の空中戦ではなく、現場の声を反映した報道を多く伝えてほしいという希望も伝えました。

112j 白頭学院・建国高等学校の卒業式

1月31日(金)、大阪の「民族学校」白頭学院建国高等学校の卒業式が行われました。

ことしは白頭学院・建国高等学校の第69回の卒業式で、62人が卒業しました。この高等学校がこれまでに輩出した全卒業生は、ことしの卒業生を含め、4824人です。この傾向が続けば、3年後には卒業生が5000人を突破する見込みです。これは決して少なくない数だと思います。

62人の卒業生は、すべて韓国と日本の大学に入学する予定だそうです。日本の国公立大学の入試はまだ終わっていませんが、100%大学進学が眼前にあるということです。

白頭学院建国学校には、幼稚園から高等学校まであります。今回の卒業生には、幼稚園から通った学生が4人、小学校からの学生が10人いるそうです。これだけ見ても、この学校が1945年の解放前から日本に来て根を下ろした在日コリアン(特別永住者、「オールドカマー」)中心の学校であることがわかります。駐在員の子弟と1980年代以降に定着した永住者(「ニューカマー」)の子弟が大きな割合を占める東京の韓国学校とは性格を異にします。

白頭学院をはじめ、関西地域の三民族学校(建国学校、金剛学校、京都国際学校)の存在は、今後、在日コリアン社会の命運を左右する大きな意味を持っている、と私は考えています。

在日コリアン社会は、日本への帰化と国際結婚の増加、少子化の影響により韓国籍を維持する人が毎年大幅に減少しています。このような傾向を止めることは容易ではないでしょう。このような状況にあって、韓国出身という帰属意識を持ち、在日社会をリードして行く次世代のリーダーの重要性がさらに増すものと思われます。そして、まさにそのような役割を担うべく、それを効率的に果たせるのがこれらの民族学校だと考えています。

卒業式の日、私は祝辞で「日本の中の韓国の学校」という難しい関門を通過した建国学校の卒業生だからこそ、これまでの経験と知識を活かし、韓国・日本、さらには国際社会に貢献する人材になることを期待すると述べました。幼少の頃から、韓国と日本を同時に意識してきた者だからこそ、困難な日韓間の問題を解決する智慧の芽も育んでいるはずだと思うからです。韓国社会の「日本の中の韓国民族教育」に対する関心がさらに高まるよう期待して止みません。