165 Tourism Expo Japan 2019

오사카의 종합전시장 인텍스에서 10월24일부터 27일까지 ‘투어리즘 엑스포 재팬 2019’가 열렸다. 일반 공개는 26, 27일 이틀간 실시되었다. 이 행사는 2014년부터 일본관광진흥협회, 일본여행업협회, 일본정부관광국이 주최하는 세계 최대 규모급의 여행 박람회이다. 이제까지는 도쿄에서만 줄곧 열렸는데, 올해 처음으로 도쿄를 떠나 오사카에서 열렸다. 한국에서도 지방자치단체 13곳과, 호텔, 병원, 여행사, 항공사 등이 대규모로 참가해 61개의 부스를 운영하며 한국의 매력을 내장객에게 호소했다….

164j 尹東柱のように自分の思いを発信したい

10月26日(土)午前、京都府宇治市で詩人尹東柱(1917-45)の<記憶と和解の碑>建設2周年記念式が催されました。詩碑は天ヶ瀬ダム下の吊り橋近く、宇治川と志津川が出会う10坪ほどの端地に建っています。 赴任した年に行われた第1回行事に続き、ことしも参加しました。日本人がイニシアティブをとった詩碑建設委員会の主催行事で、日本の市民と京都民団の関係者や在日コリアンが参加するささやかな集いですが、昨年と比べ、いくつかの変化に気づきました。 詩碑の建つ場所周辺が整備され、階段ができました。道路より1-2m低い所に建つ詩碑に行くのに、以前は階段もなく、道路から詩碑の場所まで砂利を敷いた傾斜地を滑って降りていたのです。周囲の景観もあまりよくありませんでした。 このような事情を知った京都民団が2周年行事の前日までに階段を造成し、詩碑の周りに小石をきれいに敷いて誰もが安全に訪ねられるように整備したのです。整備事業は、お金の問題よりも詩碑の建つ土地が村と市の所有にまたがっており、村と市の許諾を得るのが大変だったそうです。民団自ら積極的に当事者を訪ねて許可を得、2周年の前日までに整備工事を終え、階段横の斜面にはムクゲを一本植樹したとのことです。 もう一つの変化は、参加人数が昨年より増えたことです。昨年はせいぜい50人ほどでしたが、ことしは地域出身の議員2人を含み、70人を超える人々が参加しました。さらに意義深いのは、尹東柱が通った同志社大学の系列にある同志社中学校の生徒3人が参加し、尹東柱の詩を暗誦し追悼の辞を述べたことです。1人の生徒が「私には関係ない、私が何をしても変わらないとは考えずに、詩人尹東柱のように自分の思いを外に向かって発信できる人になりたい」と述べ、参加者の大きな拍手を浴びました。 行事は、開会宣言、黙祷、主催者挨拶、献花、参加者代表挨拶に続いて、尹詩人の詩三篇(서시[序詩]、공상[空想]、새로운 길[新しい道])をそれぞれ韓国語と日本語で暗誦し、最後に詩人が好んで歌ったアリランを斉唱して終わりました。 ことしの行事が昨年より著しく進展したようすを見て、宇治にある尹東柱詩碑が新たな文化の象徴になるだろうという予感を感じました。 尹東柱の詩碑は JR または京阪電鉄の宇治駅で下車、天ヶ瀬ダム方向に歩いて40分余りのところにあります。標識もなく不便ですが、グーグルマップに<詩人尹東柱 記憶と和解の碑>と入力すれば位置が表示されます。

164 시인 윤동주 기억과 화해의 비 건립 2주년 기념식

10월 26일(토) 오전에 교토부 우지시에서 ‘시인 윤동주 기억과 화해의 비’ 건립 2주년 기념식이 열렸다. 시비는 아마가세댐 밑의 하코다리 근처, 우지강과 시즈카와가 만나는 10평 정도의 자투리 땅에 세워졌다. 나는 부임 첫해 열린 지난해 1회 행사에 이어 올해도 참석했다. 일본인들이 주도한 시비 건립위원회가 주최하는 행사로 일본 시민과 교토 민단 관계자를 비롯한 재일동포들이 참석하는 소규모 행사이다. 그러나 올해는…

163j 奈良正倉院展と斑鳩中宮寺の弥勒菩薩像

奈良市にある奈良国立博物館は毎年10月末に正倉院展を開催します。正倉院は東大寺の境内にある日本の皇室ゆかりの品々を収蔵する倉庫です。奈良時代(710-794)に建てられた木造建築であり、当時の美術工芸品約9千点を保管し現在に伝えています。 正倉院展は、奈良国立博物館が日本の皇室(宮内庁)の協力を得て毎年数十点を選んで一般に公開するのものです。ことしは71回目で、10月26日から11月14日まで休むことなく展示されます。ことしは新天皇の即位を記念し、東京国立博物館でも即位記念特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」(10月14日-11月24日)を同時開催しています。奈良で41点、東京で43点の宝物が展示されます。 二ヵ所に分けて展示されるので、奈良に出品される宝物はいつもより少なくなっています。宮内庁の正倉院担当者は「展示品の数は減ったが、質はこれまで以上に優れていると信じる」とし、「東京に出品された宝物がミシュラン最高水準のイタリア料理だとすれば、奈良のそれは最高級懐石料理と見ればよい」と述べています。 昨年に続き、ことしも10月25日の正倉院展開幕式と招待客プレビューに参加しました。昨年は他の国の総領事も数人見えましたが、ことしは天気が悪かったせいか、総領事としては私一人だったので、開幕式の来賓挨拶で最初に紹介を受けました。 ことし出品された宝物は、昨年とは違い、朝鮮と直接関連あるものはないそうです。昨年は、新羅(前57-935)の伽椰琴をはじめ数点が出品され、大きな注目を集めました。ただ、ことしは作品ごとに昨年よりはるかに詳しい韓国語の説明が付いていました。 開幕式は午後でしたので、午前中は2016年日韓国交50周年記念に開催された「日韓の国宝半跏思惟像の出会い」展に日本代表として出展された木造の半跏思惟像のある奈良斑鳩(いかるが)の中宮寺を訪ねました。百済(前18-660)の穏やかな姿そのままの半跏思惟像を至近距離でつぶさに観察し、日野西光尊門跡と日韓の文化交流の長い歴史と重要性について話を交わしました。

163 쇼소인전(正倉院展), 중궁사 반가사유상(半伽思惟像)

일본 나라시에 있는 나라국립박물관에서는 매년 10월 말에 쇼소인전(정창원전)이 열린다. 쇼소인은 도다이지(동대사) 안에 있는 일본 황실의 보물 창고이다. 나라시대에 지어진 나무 건물로, 나라시대의 보물 등 9천여 점이 보관되어 전해져온다고 한다. 나라국립박물관이 일본 황실의 협조를 얻어 매년 수십 점을 선별해 일반에게 공개를 하는데, 이것이 쇼소인전이다. 올해가 71회째로 10월26일부터 11월14일까지 쉬는 날 없이 열린다. 올해는 새 천황이 즉위하는…

162j 堺まつりに参加する民団の朝鮮通信使ほか行列

大阪府堺市は大阪府において大阪市につぐ大都市で、人口は大阪市の3分の1ほどの80万人余り、日本全国で18番目に大きい都市だそうです。在日コリアンも多く、約3千人住んでいるといわれます。 堺市は明治時代(1868-1912)以前から商業と製造業が盛んでした。昔から武士の刀剣や軍人たちが使う銃を製造し、今も堺市で作られたナイフは有名です。 堺市は、毎年10月の第三日曜日に堺まつりを催します。市の中心地、大小路通筋で行われるパレードを中心に茶道会、ミュージカル、ダンス、夜市など多彩な催しを繰り広げます。まつりのハイライトというべきパレードは、堺の歴史を古代・中世・近世・現代に区分し、それぞれの時代を再現した仮装行列が行進します。 ことしは堺市にある世界最大の墓所、百舌鳥(もず)・古市古墳群の世界文化遺産登録記念を堺まつりの総合コンセプトに設定しています。 堺まつりはことし46回目を迎えました。堺民団は43年前から参加し、36年前からずっと朝鮮通信使一行の仮装行列の一員として参加しているそうです。 昨年に続きことしも堺まつりを訪れた私は、行列に参加する在日コリアンたちを激励しました。民族学級の小学生のサムルノリを先頭に、朝鮮通信使、金剛学園舞踊部の扇舞、テコンドーデモチームが構成する堺民団の200mに及ぶ行列が大きな人気を博しました。 ベトナム総領事館前に設けられた観覧席で見学していた私は、その前を堺民団の行列が通ったとき、立ち上がって歓声と拍手を送りました。のどかな天気のもと、絶好のまつり日よりでした。

162 오사카시 다음으로 큰 사카이(堺)시의 가을 축제

오사카부 사카이시는 오사카부에서 오사카시 다음으로 큰 도시이다. 인구가 80여만명으로 오사카시의 3분의 1 정도이다. 일본 전체에서는 18번째 규모라고 한다. 사카이시는 메이지 이전부터 상업과 제조업이 활발한 곳이다. 예전부터 무사들의 칼과, 군인들이 쓰던 총포도 만들었는데 지금도 이곳에서 만든 칼이 유명하다. 재일동포들도 많이 사는데, 약 3천명 정도 된다고 한다. 사카이시는 매년 10월 세번째 일요일에 사카이 마쓰리를 한다. 중심지인 오쇼지…

161j 日本の宝、大阪生野区のコリアタウン

大阪には日本の他の地域にない宝があります。長い間この地で暮らしている人々は気づかないかもしれませんが、生野区のコリアタウンを見た瞬間、私はここが本当に貴重な至宝だと思いました。 1920年代、工業が盛んだった大阪は<東洋のマンチェスター>と呼ばれ、労働力不足の問題を抱えていました。その労働力を補うため、朝鮮半島から大勢の人が日本に渡ってきて、朝鮮の貧しい労働者たちが生野(旧称、猪飼野[いかいの])に集まり住んだのです。1922年には済州島と大阪を結ぶフェリー(君が代丸)が就航し、生野には済州出身者が多く住むようになりました。 生野区のコリアタウンはこうして植民地時代(1910-45)を通じて朝鮮出身の貧しい人々の集住地区になりました。1988年のソウルオリンピック以後、韓流ブームを経て大阪における<韓国>趣味と味覚、生活と文化のメッカとして大きな変貌を遂げます。ですから、最近の冷えきった日韓関係にもかかわらず、1日に1万ないし2万人を超える日本の若者たちが生野にやってきて<韓国>を楽しんでいるのです。 日本では、東京の新大久保と大阪の生野がコリアタウンの代表格ですが、両者は大いに異なります。ニューカマー中心の新大久保に対し、生野では多数派のオールドカーマーにニューカマーが加わっています。新大久保はコリアンと店舗が点々と分布し、生野は線と面で広がっているといえるでしょう。歴史的には、新大久保のコリアタウンが僅か20年前の1990年以降に形成されたのに対し、生野は植民地時代に遡り、古代朝鮮の三国(高句麗・百済・新羅)との交流の痕跡も残っています。 生野区のコリアタウンは、いわばその存在自体が韓国の過去と現在そして未来をつなぐ貴重な場所なのです。だからこそ、日本政府が強調してやまない<多文化共生社会>構築の成否を占う実験場でもあるのです。 大阪民団は生野のこのような特性に着目して、10月11日の夕方、コリアタウンにある民団生野西支部講堂でコリアタウンの活性化をテーマにシンポジウムを開催しました。民団の代表者、商業界の代表者、日本人作家、地域住民の代表がパネリストとして参加し、地域活性化をめぐり建設的な意見を交わしました。100人を超える住民が夜遅くまで熱心に耳を傾けました。 これまでにもコリアタウンを活性化しようという議論は少なからずあったでしょうが、住民参加型のシンポジウムはほとんどなかったそうです。今回の「コリアタウン、下からの活性化」の動きを契機に生野のコリアタウンが日韓交流の名所としてさらに成長することを期待してやみません。一人が見る夢は夢で終わりますが、多くの人が見る夢は現実になるというではありませんか。

161 오사카시 이쿠노구(生野區)에 있는 코리아타운

오사카에는 일본 다른 지역에 없는 ‘보물’이 있다. 오랫동안 이곳에 살아온 사람들에게는 잘 보이지 않을지도 모르지만, 나는 보는 순간 정말 큰 보물이란 생각을 했다. 바로 이쿠노구에 있는 코리아타운이다. 1920년대 ‘동양의 맨체스터’로 불릴 정도로 공업이 왕성하던 오사카에는 노동력이 부족했다. 부족한 노동력을 채우기 위해 한반도에서 많은 사람들이 건너왔고, 가난한 한반도 출신 노동자들이 집단 거주하던 곳이 이쿠노(옛 이름, 이카이노)이다….

160j 難局にあっても有意義な交流は続けなければ…

10月7日、1446年のハングル公布から573周年に当たる2019年ハングルの日を二日後に控えた夜、大阪総領事館主催によるハングルの日記念レセプションを大阪帝国ホテルで開催しました。 従来、大阪総領事館は毎年10月3日に開天節の記念レセプションを開催してきました。ことしはその日程と名称を変更し、ハングルの日記念レセプションとして開催しました。数千年前の神話時代の建国神話について説明するより韓国の最も誇る発明というべきハングルについて説明するほうが、日本の人々の理解を得やすいし有意義だというのが変更の最大の理由です。 今回のレセプションには歴代の行事のなかで最も多い700人余りが参加し、参加者の構成も多様でした。以前とは違って日本人が多く、在日コリアンも所属や年齢層がきわめて多彩でした。6月末に行われたムン・ジェイン大統領と在日コリアンの懇談会の際に顕著だった多様性と開放性が今回の行事にもみられたのです。 受付に名刺を置いて入場した人だけで昨年より100人以上多く、職員や家族など名刺を置かずに出席した人を含め 800人に達したと思われます。出席した他の国々の総領事も参加者の多さに驚いていました。日本人参加者も、日韓関係が凍てついた状況にあって驚くべきことだと言い、萎縮していた在日コリアンも安堵したようでした。 日韓関係が難局にあるなかで多くの参加者を得た理由を考えるに、日韓交流の幅と深さが政府関係の変動に揺るがないほど広く深いことが最大の要因だと、私は判断しています。また、困難な時だからこそ多くの人が参加し、日韓関係を改善する力を結集しようという熱望を反映しているとも推測されます。実際、日本側参加者の面々には著名な名士よりも草の根交流の中間リーダーが圧倒的に多くいました。 ことしは式典のアトラクションとして韓国から大佛大学のテコンドーチームを招聘し、撃破と攻守のデモンストレーションを披露して大喝采を得ました。撃破と攻守中心のデモでは、高さ 2-3 m の上空撃破、連続撃破、目隠し撃破など難度の高い技を披露し、観客を釘付けにしました。撃破で割れた松の板の端切れが舞台前に飛び散る臨場感および迫力満点の動作と喊声に、観客はみな呆気にとられ見入っていました。 記念レセプションを通じて「日韓関係が難局にあっても有意義な交流は続けなければ」というメッセージを伝えたいと思いましたが、その目的は達したようです。私とオヨン大阪民団団長による韓国側の祝辞に続いて、日本側の祝辞に立った滋賀県の三日月大造知事は滋賀県と朝鮮半島の古代からの縁、2001年の新大久保駅における李秀賢氏の死、2002年のワールドカップ日韓共催、2018年の平昌(ピョンチャン)五輪における李相花選手と小平奈緒選手の友情を取り上げ、交流の重要性を強調しました。 2017年の末、朝鮮通信使のユネスコ記憶遺産登録に多大な貢献をされた京都造形芸術大学の中尾寛客員教授は乾杯の辞で、滋賀県出身の江戸期の朝鮮専門外交官、雨森芳洲(1668-1755)の「互いに欺かず争わず真実をもって交わる」誠信外交の精神を強調しました。そして、韓国人は「カンパイ」、日本人は「コンベ」と相手側の言葉による乾杯を提案し、会場のムードを盛り上げました。 舞台行事が終わった後、参加者たちは2時間近く焼肉とチャプチェ、マッコリなど韓国料理を楽しみながら話を交わし、名残惜しそうに会場を後にしました。