102j 大阪道修町にある創業300年の小野薬品工業

4月に赴任して以来、所管地域の主要企業を訪問しています。6月の三洋化成工業を皮切りに、パナソニック日本電産京セラオムロン村田製作所大和ハウス工業など、さまざまな会社を訪問しました。そして、12月7日、ことし最後の日程として、小野薬品工業の本社を訪問しました。

小野薬品工業は、2018年のノーベル生理学医学賞を受賞した本庶佑京都大学特別教授の研究をもとに、免疫システムを利用したがん治療薬「オプジーボ」を開発し、販売している会社です。大阪総領事館の臨時オフィスから徒歩5分程度の至近距離にある会社だということを、今回の訪問を準備するなかで初めて知りました。そこで、相良暁社長にお会いするとすぐ「隣人として、このように世界的な話題になる会社が現れたことをお祝いします」とあいさつしました。

江戸時代から薬種問屋街で、現在も薬品関連企業が軒を連ねる道修町(どしょうまち)において、小野薬品工業の前身は300年前(1717年)に薬剤商としてスタートし、1947年に製薬会社に転換しました。現在は3500人程度の従業員が勤務する、日本では中規模の製薬会社です。日本の大規模な製薬会社の社員数は7千人以上に上るそうです。同社は韓国にも50人規模の販売会社を運営しています。

小野薬品工業の優れたところは、中規模の会社でありながら、大企業にとっても難しい、長期に及ぶ投資を通じてオプジーボのような画期的な新薬を開発したことにあります。もちろん、関西地域には京都大学や大阪大学など、基礎医学研究が充実した大学が多く集まっており、新薬を開発する環境が整っているといえます。それでも、中規模の会社が新薬開発に手を出すのはリスクが大きいと言わなければなりません。相良社長は「新たな領域に挑戦する社風と研究欲、これを支え新たな市場を開拓しようとする経営陣の決断が、このような結果をもたらしたのです」と述べました。

同社長はまた、韓国法人の本社にも韓国人のほかさまざまな国の人材がいるといい、韓国の若者たちは思いが熱く、国際舞台で仕事する進取の気性が強いようだと評価しました。また、韓国の製薬業については全体として日本の業務より劣るものゝ、複数のバイオ分野で革新的な新薬を出すなど、大きく発展していると分析しました。

102 오프지보를 개발해, 팔고 있는 오노약품공업

4월 부임 이후 담당지역 안 주요 기업 탐방을 하고 있다. 6월 자동차 윤활유 첨가제 제조기업인 산요카세이공업(주)를 시작으로, 파나소닉, 일본전산, 교세라, 오므론, 무라타, 다이와하우스 등 다양한 회사를 방문했다. 그리고 마침내 12월7일 올해 마지막 일정으로 오노약품공업 본사를 찾았다.

오노약품공업은 2018년 노벨 생리의학상을 탄 혼조 다스쿠 교토대 특별교수의 연구를 토대로 면역체계를 이용한 암 치료제 ‘오프지보’를 개발해, 팔고 있는 회사이다. 이 회사는 임시로 이전한 오사카총영사관에서 걸어서 5분 정도의 아주 가까운 거리에 있다. 이번에 방문을 준비하면서 비로소 알게 됐다. 그래서 사가라 교 사장을 만나자마자 “이웃으로서 이렇게 세계적인 화제가 되는 회사가 나온 것을 축하한다”고 인사를 건넸다.

이 회사는 오가카의 약재상거리인 도쇼마치에서 300년 전(1717년) 약제상으로 시작해, 1947년 제약회사로 변신했다. 현재는 3천5백명 정도의 직원이 근무하는, 일본에서 중간 규모의 제약회사이다. 일본에서 대규모 제약회사는 7천명 이상이 된다고 사가라 사장은 설명했다. 이 회사는 한국에도 50명 규모의 판매 회사를 운영하고 있다.

오노약품공업의 훌륭한 점은 중간 규모의 회사이면서도 대기업도 하기 힘든, 장기간에 걸친 투자를 통해 오프지보 같은 획기적인 신약을 개발했다는 점이다. 물론 간사이지역은 교토대, 오사카대 등 기초 의학 연구가 튼튼한 대학이 많이 몰려 있어 신약을 개발하기에 환경이 좋은 편이다. 그래도 중규모의 회사가 신약 개발에 손을 대는 것은 모험이라고 할 수 있다. 사가라 사장은 “새로운 영역에 도전하는 사풍과 연구욕, 이를 둣받침해주고 새로운 시장을 개척하려는 경영진의 결단이 이런 결과를 가져왔다”고 말했다.

그는 한국법인 말고 본사에도 한국인을 비롯한 다양한 나라의 인재가 있다면서, 한국 젊은이들은 가슴이 뜨겁고, 국제무대에 나가 일하려는 진취성이 강한 것 같다고 평가했다. 또 한국의 제약업에 대해서 전반적으로는 일본에 뒤지지만 일부 바이오 분야에서 혁신적인 신약이 나오는 등 크게 발전하고 있다고 진단했다.

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101j 大阪の各国総領事一行、静岡県の招聘で静岡を訪問

12月4日、静岡県が主催する大阪領事団招待事業で静岡県を訪問しました。静岡県の海外広報事業であり、ことしで4年目になります。イタリア、インド、インドネシア、中国、パナマ、モンゴルの総領事ほかと一緒に参加しました。

はじめに「東海道五十三次」で有名な浮世絵師・歌川廣重の作品ほかを集めた静岡市東海道廣重美術館を訪問しました。浮世絵は江戸時代(1603-1868)に隆盛した木版画で、絵師・彫師・摺師たちが分業して制作しました。

続いて、昨年末にオープンした富士山世界遺産センターを見学しました。世界的な建築家である坂茂(ばん しげる 1957-)氏の設計により、富士山が最もよく見える場所に建てられたそうです。当日は残念ながら天気がすぐれず、本物の富士山は見られませんでしたが、センター内に展示された写真や動画などを通じてさまざまな富士山を見ることができました。

fujisan-gal_img1写真: 富士山世界遺産センターのサイトより

センターの建物は富士山を逆さにした形で、センター前の池に本来の富士山の形が映るのをユニークに思いました。1日に1500人程度の来客があり、ほぼ京都国立博物館や奈良国立博物館レベルの入場者だそうです。続いて、静岡地震防災センターに行き、津波の恐ろしさと対処方法を示すビデオを見て、地震のシミュレーション体験をしました。

静岡県庁で川勝平太知事のお話を聞いた後、夜大阪に帰ってきました。知事の説明によると、静岡県は人口(370万人)と総生産規模がニュージーランドに似ているそうです。東京と大阪に独立国のように静岡県の事務所「ふじのくに領事館」を置き、国籍や人種に関係なく共生することを県の方針にしているとも述べていました。「ふじのくに」と呼ぶのは、精神的な独立を強調するためだそうです。画一的な政策や事業にしがみついている韓国の自治体にとってよい参考になると思われます。

101 시즈오카현 초청으로 오사카영사단 시즈오카현을 방문

12월4일은 시즈오카현이 주최하는 오사카영사단 초청 시즈오카현 방문행사에 다녀왔다. 가와카즈 헤이타 지사가 시즈오카현을 세계에 홍보하기 위해 4년째 벌이는 행사이다.

나도 중국, 파나마, 인도네시아, 몽골, 이탈리아, 인도 총영사(인도는 영사 대리 참석)와 함께 참석했다.

첫 일정은 에도와 교토를 잇는 도로인 도카이도의 53 역참의 풍경화로 유명한 우키요에 화가 우타카와 히로시게 미술관을 방문했다. 우키요에는 목판화로 대량생산했던 에도시대의 풍속화이다. 대량생산을 위해 그림을 그리는 사람, 목판을 새기는 사람, 색을 발라 찍어내는 사람 등으로 분업해 작업이 이뤄졌다.

다음 행선지는 2017년 말 개관한 후지산세계문화센터를 방문했다. 세계적인 건축가 반 시게루의 설계로 후지산이 가장 잘 보이는 곳에 세워졌다. 그러나 유감스럽게도 날씨가 흐려 진짜 후지산은 보지 못했다. 대신 센터 안에 설치된 사진과 동영상 등을 통해 다양한 후지산을 봤다. 센터는 후지산을 거꾸로 세워놓은 형태인데, 센터 앞의 연못에는 원래의 형상이 되도록 한 것이 독특했다.

이곳에는 하루에 1500명 정도의 관람객이 들어오는데, 대략 교토국립박물관이나 나라국립박물관 수준의 입장객이라고 한다.

다음으로 시즈오카방재센터에 가서 쓰나미의 무서움과 대처방법을 보여주는 영상을 보고, 시뮬레이션 지진 체험을 했다. 이어 현청에서 가와카즈 지사를 만나 얘기를 듣고 저녁에 오사카로 돌아왔다.

지사의 설명에 따르면, 시즈오카현은 인구(370만명)와 국내총생산 규모가 뉴질랜드와 비슷하다. 가와카즈 지사는 도쿄와 오사카에 독립국처럼, ‘후지노구니 영사관’을 두고 있다면서, 국적과 인종에 관계없이 더불어 잘사는 것을 현의 방침으로 하고 있다고 말했다. 시즈오카현을 후지노구니라고 부르는 것은 법률적은 아니더라도 정신적인 독립을 강조하기 위한 것이라고 했다. 거의 엇비슷한 정책과 행사에 매달리고 있는 한국의 지자체에게 좋은 본보기라고 생각한다.

100j 渡来人・行基・雨森芳洲・朝鮮通信使・滋賀県民団70周年

12月初の週末1日と2日、滋賀県に出張しました。2日に開かれる滋賀県の民団創立70周年記念式に出席する機会に、前日に現地入りし、韓半島と深い縁のある二つの寺院、金剛輪寺と百済(ひゃくさい)寺を訪ねました。

江戸時代を通じて12回に及んだ朝鮮通信使のうち10回が滋賀県を経由しており、宿泊先の施設などに通信使一行の痕跡が多く残っています。通信使が通行した街道を表示する「朝鮮ガモ」の標石があり、当時の古道もあちこちにそのまま残っています。通信使と関連が深い雨森芳洲翁の出身地ということもあり、地域と通信使との縁も深いのです。翁が生まれた長浜市高津町には雨森芳洲庵があります。昨年末、通信使の記録がユネスコ記録遺産に登録され、芳洲庵に保存されている書籍や記録などの多数が遺産に登録されています。

民団の記念式会場の入り口には、長浜市と通信使に関するドキュメンタリーふうの展示パネルが置かれていました。市が作成したものです。こういう歴史的事実を初めて知るかのように、在日コリアンの多くが行事の合間に見入っていました。日本の最短首相の記録を持つ滋賀県出身の宇野宗佑(1922-98)家に伝わる通信使の詩文も展示され、注目されていました。

滋賀民団は通信使をはじめ、古代から韓半島と交流が盛んだった地域の特性を生かしながら、民間交流を活性化していくことを宣誓しました。この日の行事には、大法院の強制徴用工判決で日韓関係が困難な状況にあるなか、三日月大造滋賀県知事ほか有力者も多く参加し、民団70周年を祝っていただきました。

12月1日、百済(4世紀前半-660)またはそれ以前から韓半島と関連が深い百済寺金剛輪寺を訪ね、ご住職から朝鮮半島と寺院にまつわる話を聞きました。日本では百済という漢字をクダラと読みますが、漢字音そのままのヒャクサイと読んでいることからも、百済(ペクチェ)と縁の深いことがわかります。金剛輪寺は百済系の僧侶である行基(668-749)が創建した寺院ですが、以前からこの地域に影響力を持っていた渡来人秦(はた)氏の祈祷の場であったと伝えられているとの説明を受けました。

滋賀県は、京都や奈良ほどには韓国によく知られていませんが、古代に東海(日本海)を渡ってきた韓半島の渡来人たちが文化を伝播し、朝鮮時代(1392-1910)には朝鮮通信使の主要経路として、韓半島との縁が深く、また広いところです。そんな歴史的事実をあらためて知らされた1泊2日でした。

100 시가현 민단 창립 70주년 기념식에 참석; 곤고린지와 햐쿠사이지를 탐방

12월 첫 주말인 1일과 2일은 시가현으로 1박2일 출장을 다녀왔다. 2일 열린 시가현 민단 창립 70주년 기념식에 참석하는 김에 하루 먼저 현지에 가, 한반도와 깊은 인연이 있는 절 두 군데(곤고린지, 햐쿠사이지)를 탐방했다.

오사카총영사관 담당 지역인 2부3현(오사카부, 교토부, 나라현, 와카야마현, 시가현) 가운데, 올해 창단 70주년을 맞는 지방 민단이 나라, 와카야마, 시가현 민단 세 곳이다. 나라와 와카야마는 이미 11월에 기념식을 했고, 시가 민단이 마지막으로 12월2일 행사를 했다. 다른 두 지역은 지난해 70주년이었다.

시가 민단은 단원이 4천명 정도 되는, 비교적 작은 조직인데 알차게 행사를 준비했다. 특히, 이곳이 조선통신사와 깊은 관련이 있는 점에 착안해 연 ‘조선통신사 심포지엄이 눈에 띄었다.

시가현은 12차례의 조선통신사 가운데 10 차례나 경유한 곳으로, 숙박지와 휴식처에 통신사 일행의 흔적이 많이 남아 있다. 조선통신사가 지나간 길을 표시하는 ‘조선인가도’의 표석도 있고, 옛길도 곳곳에 그대로 있다. 또 하나 이 지역과 조선통신사의 인연은 조선통신사와 깊은 관련이 있는 인물인 아메노모리 호슈가 이곳 출신이라는 것이다. 그의 탄생지인 시가현 나가하마시 다카쓰키쵸에는, 그를 기념하는 아메노모리 호슈암이 있다. 그곳에 보관돼 있는 책과 기록 등이 지난해 말 조선통신사 기록이 유네스코 기록유산에 등록될 때 대거 포함됐다.

민단 쪽은 행사장 입구에, 시가 지역에 있는 조선통신사 기록물을 판넬로 만들어 전시했다. 동포들도 이런 사실을 처음 접하는 듯, 행사 틈틈이 많은 관심을 보였다. 특히, 일본의 최단기 총리 기록을 가지고 있는 시가 출신 우노 소스케 집안이 가지고 있는 조선통신사 시문도 전시되어 눈길을 끌었다.

시가 민단 쪽은 조선통신사를 비롯해, 고대 시대부터 한반도와 교류가 왕성했던 지역의 특성을 살려 민간 차원의 교류를 활성화해 나가겠다고 다짐했다. 이날 행사에는 강제징용 판결로 한일 관계가 어려운 가운데서도 미카즈키 다이조 시가현 지사를 비롯한 일본의 유력자들도 많이 참석해, 민단 70주년을 축하해줬다.

나는 하루 전날 백제 또는 그 이전부터 한반도와 관련이 깊은 햐쿠사이지(백제사)와 곤고린지(금강륜사)를 방문해, 주지스님으로부터 한반도와 두 절에 얽힌 이야기를 들었다. 흔히 일본에서는 백제라고 한자로 쓰고 ‘구다라’라고 읽는데, 이곳은 한자음 그대로 읽고 있는 데서도 백제와 인연의 깊이를 알 수 있다. 곤고린지는 백제계인 행기 스님이 창건했는데 이 절 자리가 그 이전부터 이곳에 영향력이 컸던 도래인 하타씨의 기도 장소였다고 전해진다고, 이 절의 주지 스님은 설명했다.

시가현은 교토나 나라만큼 한국에 잘 알려져 있지 않지만, 고대는 동해 쪽에서 건너온 한반도 도래인들이 여러 문화를 전파했고, 조선 시대엔 조선통신사의 주요 행로였을 정도로 한반도와 인연이 넓고 깊다. 이런 사실을 더욱 깊게 알게 된 1박2일이었다.

099j なぜ民族教育が大事なのか

11月23-24日、大阪地域の民族教育を担う教員と関係者が集まって研修会を開催しました。その主催者から「なぜ民族教育が大事なのか」というテーマで講演の依頼を受けました。

重いテーマですが、以前から日本と関係のある仕事をしながら抱いてきた考えと、去る4月、大阪に赴任してから関西地域の民族教育の現場を訪ね、関係者に接して感じたことをもとに私なりの考えをまとめてみました。

理解不足や補完すべき点が多々あると思いますが、日本において在日コリアンの民族教育に対する関心が高まるきっかけになればと思い、以下、管見を述べることとします。

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樹々が紅葉に染まった季節にこのように美しい場所で民族学級の先生をはじめ、民族教育関係者が一堂に集まって研修されることを心よりお祝い申しあげます。このような意義深い研修会に参加することを、私自身たいへんうれしく思います。

去る8月、ここからさほど遠くない滋賀県琵琶湖畔で開催された第55回在日本韓国人教育者大会で同じ趣旨の講演をしました。私は在日コリアン社会の発展、みなさんの母国である韓国の発展、また日本と世界の平和のためにも、民族教育の活性化が非常に大事だと考えています。

現在、韓国政府が把握している関西地域の民族教育関係者は約4千人です。大阪の白頭学院建国学校、金剛学園金剛学校、京都の京都国際学園の三つの民族学校に約8百人の生徒と150人の教員がいます。また、大阪府の公立学校に設置されている民族学級では韓国にルーツを持つ約3千人の小中学生が55人の先生から韓国語、韓国の文化、韓国の歴史を学んでいます。いくつかの地方自治体で行われているサマーキャンプや夏季学校などを含めると、その数はさらに多くなると思います。

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では、民族教育はなぜ大事なのでしょうか、私なりの思いを語りたいと思います。以下「民族教育」は日本における在日コリアンを対象とする学校教育を意味します。

第一に、民族学校と民族学級を含む民族教育は、文字どおり在日コリアン社会、在日韓国人コミュニティの中心にあるからです。民族学校や民族学級の生徒が韓国について学ぶだけではなく、ご両親を含め、在日コリアン社会ネットの中心であるからです。ここで生徒たちが学べば、その家庭や地域社会に自然と広がっていきます。湖に石を投げると、波紋がしだいに広がっていくように、生徒の直後に家庭があり、その背後に在日コリアン社会があります。

第二に、民族教育は韓国と在日社会をつなぐ臍帯です。生徒たちはここで韓国の言葉や文化、歴史を学びます。それが、前述したように、在日社会に拡散されていきます。ですから、私たちは母国と物理的・地理的に離れていても韓国とつながり、韓国人というアイデンティティを共有することができます。

第三に、民族教育は韓国と日本をつなぐ架橋でもあります。日本中の民族教育は、存在論的に韓国と日本を共に考慮する教育になるしかありません。実際そうなっています。過去には、母国に帰ることを前提に、韓国について学ばなければならないとする時代もありました。現在では、韓国文化を守りながら、日本でどのように適合して生きるかが中心にならざるを得ないと思います。現在の民族教育は、日本のなかで暮らしながら、韓国について学び、韓国文化を大事にしながら日本で生きるコリアンを育てることに重点を置くべきだと思います。実際そうなっています。このような教育を通じ、韓国と日本が切っても切れれない関係を結ぶことに貢献しています。

第四に、民族教育は韓国と日本の二国間関係だけでなく、国際社会に貢献できる人材を育てる役割を果たしていると考えます。そうすることで、民族教育の意義がさらに大きくなるだろうと思います。現代はグローバル時代です。グローバルな基準と考えを持たないと活躍できない時代が展開されています。初めから日韓という異質な要素の共存について教え学ぶ民族教育は多文化・共生・共存を基本価値とするグローバル時代の人材を育てるのに最もふさわしい場だと思います。

最後に、民族教育はしだいに縮小され、矮小化されていく在日コリアン社会を強化し、有効化できる基盤を作る土台を提供していると思います。いくら在日コリアン社会が縮小されても、韓国としっかり連帯した次世代が続いて排出されますし、在日コリアン社会は堅固に維持され、発展していきます。このような意味における民族教育が存在する限り、どんな困難に遭遇しても、在日コリアン社会が揺らぐことなくつながれていくことを確信しています。

このように重要な意義を持つ民族教育がいま危機に瀕しているといわれます。逆説的な言い方になりますが、危機は危機と捉えることによって初めて、その危機から脱することができます。イタリアの哲学者アントニオ・グラムシ(Antonio Gramsci 1891-1937)に「知性の悲観、意志の楽観」という言葉があります。「状況を悲観的に捉え楽観的に行動する」という意味に私は解釈しています。

民族教育の危機を突破するには、何よりも情勢を冷静かつ正確に見る観察眼が必要です。私は民族教育が生き残ることを越え、さらに活性化するために、これまでの民族教育の成功と失敗を振り返り、新たな方向を模索しなければならないと考えています。

これまで1世2世の人たちを中心に展開されてきた民族教育は、日本社会の弾圧と差別、痛みからコリアンを守るための、いわば生存次元における避けようのない選択でした。生存するために、在日コリアンは確固としたルーツ意識を持って団結しなければなりませんでした。民族教育もそのような状況を色濃く反映しています。

いま、当時とは状況が大きく異なります。在日コリアンは、祖国に帰って定着するのではなく、日本社会に残って成功する道を選ぶしかない環境に置かれています。日本社会の差別的な環境も在日コリアンの努力と、人権と共生を強調する国際社会の影響を受け、しだいに改善されてきました。

現在、日本の国会で激しい論争となっている出入国管理法の改正論議にも見られるように、今日の日本社会は外国人労働者を受け入れなければ持ちこたえるのが厳しい時代になりました。韓国だけでなく日本も多文化共生を選択ではなく、必須にしなければならない状況になっているのです。このようなトレンドをふまえ、在日コリアンの民族教育も従来の抑圧と差別に対抗することに加え、多文化・共生を強調すべき時代になったと、私は考えています。差別を克服するだけではなく、多文化共生との二本立てで民族教育の歩みを進めなければならないと思うのです。

在日コリアンは日本社会における代表的な少数派(マイノリティ)です。最近、日本には、フィリピン、ネパール、スリランカなどから来訪する人々が増えています。このような状況を考えると、在日コリアンは歴史的にも人口数においても「マイノリティの長兄」the majority of minorities(少数派のなかの多数派)です。だから、マイノリティの権利を代弁してリードする長兄の役割を果たすべきだと考えます。従来より以上に、他の外国人と連帯する必要があるのです。一国主義ではなく複数国・国際主義が求められます。

マイノリティと共存共栄しなければ日本社会も支え難いという現実があることを考え、マイノリティとして生存に一層尽力しなければならないと思うのです。この点、みなさんが実践している民族教育こそが、日本社会が多文化・共生社会として成功するかどうかを左右する鍵だと考えています。日本社会もこのことを認めるべきでしょう。マイノリティの代表的な存在である在日コリアンの民族教育を受容できない社会が、どうしてベトナム、ネパール、スリランカなどの新しいマイノリティと共生できるでしょうか。

在日コリアン社会と日本社会が民族教育の重要性を共有し、ともに複文化主義に立つとき、日本は多文化・複文化社会に向けて進むことができます。このような経験とビジョンは、日本の共生だけではなく、韓国、東アジア、そして世界との共生のための好モデルを提供できるはずです。

在日コリアンのみなさん、さらに広くさらに遠くを見て、世の中を、そして世界を変える民族教育を作っていこうではありませんか。

いま大阪総領事館では、民族学校と民族学級の生徒の作品を1階の会議室に展示し「教師と生徒の協働(原文は師弟同行)アートショー」と呼んでいます。総領事館がコリアン社会とより身近になるために企画された展示会です。より多くの人々に民族教育のためのコリアンの努力を知らせる機会となるものと期待しています。総領事館を民族教育の体験学習の場としてもご活用ください。民族教育の旅程に大阪総領事館はいつも同行し、スタッフはみなさんと協働していきます。

今回の研修会では、ウトロ村、雨森芳洲館、浮島丸殉難碑、丹波マンガン記念館をたどる道も組まれています。歴史には病んだ歴史も健やかな歴史もあります。歴史を探訪する意味はそれを教訓にして、明るい未来を設計していくことにあると思います。

今回の研修がそのような道へと進む起点になることを期待しています。最後に、プロイセンの宰相ビスマルク(Otto von Bismarck 1815-1898)の言葉を引用し、講演を終わります。「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」

099 민족교육, 왜 중요한가

11월23일~24일 오사카지역에서 민족교육을 담당하는 선생님과 관계자들이 모여 연수회를 했습니다. 그때 주최 쪽으로부터 저한테 ‘민족교육, 왜 중요한가’라는 제목으로 강연을 해 달라는 부탁을 받았습니다.

제가 감당하기 버거운 주제이지만, 오래전부터 일본과 관련한 일을 하면서 가졌던 생각, 그리고 4월 부임한 뒤 현지의 민족교육 현장을 방문하고 관계자를 만나면서 느낀 것 등을 종합해 저 나름대로의 생각을 발표한 바 있습니다.

여러가지 부족하고 보완할 점이 많지만, 일본 안의 재일동포 민족교육에 관한 관심을 환기하는 차원에서 글을 공유합니다.

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<민족교육, 왜 중요한가>

안녕하십니까. 오사카 총영사 오태규입니다. 먼저 단풍이 멋지게 물든 시기에 이렇게 아름다운 곳에서 민족학급 선생님들을 비롯한 민족교육 관계자들이 한 자리에 모여 연수를 하게 된 것을 축하합니다. 그리고 이런 의미 깊은 연수회에 참가하게 되어 개인적으로 기쁘게 생각합니다.

지난 8월 여기서 멀지 않은 시가현 비와코 근처에서 열린 제55회 재일본 한국인 교육자대회에서도 비슷한 내용의 강연을 한 바 있습니다만, 저는 재일동포 사회의 발전, 모국인 한국의 발전, 더 나아가 일본 및 세계를 위해서도 민족교육의 활성화가 매우 중요하다고 생각합니다.

지금 우리 정부와 함께하고 있는 간사이지역의 민족교육 관계자는 대략 4천명 정도로 알고 있습니다. 오사카의 백두학원 건국학교, 금강학원 금강학교, 교토의 교토국제학원 등 3개 민족학교에 8백여명의 학생과 150명의 선생님이 있습니다. 또 오사카부의 공립학교에 설치된 민족학급에서 우리나라 뿌리를 가지고 있는 3천여명의 초중학교 학생이 55명의 선생님으로부터 우리말, 우리문화, 우리역사를 배우고 있습니다. 아마 여러 지방자치단체 별로 하고 있는 여름캠프나 하계학교 등을 포함하면 숫자는 훨씬 많아질 것이라고 봅니다.

그러면 지금부터 민족교육이 왜 중요한지에 관해, 저 나름대로 정리한 생각을 말해 보겠습니다.

첫째, 민족학교, 민족학급을 포함한 민족교육은 바로 재일동포 사회, 재일한국인 공동체의 중심이기 때문입니다. 민족학교나 민족학급은 단지 학생들이 우리 것을 배우는 곳일뿐만이 아니라, 학부모를 포함해 재일동포 사회를 아우르는 중심입니다. 이곳에서 어린 학생이 우리 것을 배우면, 그것이 학부모 및 지역 사회로 자연스럽게 퍼져나가게 되어 있습니다. 호수에 돌을 던지면 파문이 점차 확대해 나가듯이, 학생 바로 다음에 학부모가 있고, 그 뒤에 재일동포 사회가 있습니다.

둘째, 민족교육은 한국과 재일사회를 이어주는 탯줄입니다. 학생들은 이곳에서 한국의 말, 문화, 역사를 배웁니다. 그리고 그것이 앞에서 말씀드렸듯이 재일사회로 확산되어 갈 것입니다. 그래서 우리는 모국과 서로 물리적으로, 지리적으로 떨어져 있지만 한국, 한국 것이라는 정체성을 함께 공유할 수 있게 됩니다.

셋째, 민족교육은 한국과 일본을 연결해 주는 다리이기도 합니다. 일본안의 민족교육은 존재론적으로 한국과 일본을 다함께 고려하는 교육이 될 수밖에 없습니다. 또 그래야 합니다.
과거에는 모국으로 돌아가는 것을 전제로 우리 것을 배워야 한다고 하는 시대도 있었지만, 지금은 우리 것을 지키면서 일본 속에서 얼마나 잘 어울리며 사느냐가 중심이 될 수밖에 없다고 봅니다. 지금의 민족교육은 일본 속에서 살면서 우리 것을 배우고, 우리 것을 간직하면서 일본에 살아야 하는 사람을 키워내는 데 중점을 둬야 한다고 생각합니다. 실제 그렇게 하고 있습니다. 이런 교육을 통해 한국과 일본이 뗄레야 뗄 수 없는 관계를 맺는 데 기여하고 있습니다.

넷째, 민족교육은 한국과 일본 두 나라 관계뿐 아니라 국제사회에 공헌할 수 있는 인재를 길러내는 역할을 하고 있다고 봅니다. 또 그래야 민족교육의 의의가 더욱 커질 것이라고 생각합니다. 지금의 시대는 국제화 시대입니다. 국제적인 기준과 생각을 가지지 않고는 제대로 활약할 수 없는 시대가 전개되고 있습니다.
처음부터 한일이라는 이질적 요소의 공존을 가르치고 배울 수밖에 없는 민족교육은 다문화, 공생, 공존을 핵심 가치로 하는 국제화 시대의 인재를 길러내기에 가장 안성맞춤의 장소라고 생각합니다.

마지막으로 민족교육은 점차 축소되고 왜소화해가는 재일동포 사회를 강화하고 활성화할 수 있는 토대를 만드는 기초라고 생각합니다. 아무리 재일동포가 축소되어 간다고 해도 우리 것으로 튼튼하게 무장된 차세대가 계속 배출되는 한 재일동포 사회는 굳건하게 유지, 발전될 것입니다. 저는 이런 의미에서 민족교육이 살아 있는 한 어떤 어려움이 와도, 재일동포 사회는 흔들리지 않고 이어질 것이라고 확신합니다.

이렇게 중요한 민족교육이 지금 위기에 있다는 말이 나오고 있습니다. 그러나 위기는 위기라고 생각할 때에야 비로소 위기에서 벗어날 수 있습니다. 저는 이탈리아의 철학자 안토니오 그람시의 ‘지성의 비관, 의지의 낙관’이란 말을 좋아합니다. `상황은 비관적으로 보되 행동은 낙관적으로 하자‘는 뜻이 아닐까, 저는 생각합니다.

민족교육의 위기를 돌파하기 위해서는 무엇보다 정세를 냉정하고 정확하게 보는 눈이 필요합니다. 저는 민족교육이 살아남는 것을 넘어 활성화하기 위해서는 이제까지의 민족교육을 성공과 실패를 돌아보고, 새로운 방향을 모색해야 한다고 생각합니다.

이제까지 1, 2세가 중심이 되어 전개해왔던 민족교육은 일본 사회의 탄압과 차별, 고통으로부터 우리를 지키기 위한 생존 차원의 불가피한 선택이었습니다. 재일동포들은 생존을 위해 더욱 단단한 뿌리 의식을 가지고 단결하지 않으면 안 되었고, 민족교육도 그런 상황을 반영하지 않을 수 없었다고 봅니다.

그러나 지금은 그때와는 상황이 많이 바뀌었습니다. 동포들은 조국에 돌아가 정착하는 것이 아니라 일본 사회에 남아 성공하는 길을 택할 수밖에 없는 환경에 처했습니다. 일본 사회의 차별적인 환경도 동포들의 노력과, 인권과 공생을 강조하는 국제사회의 영향을 받아 점차 개선되어 왔습니다. 지금 일본 국회에서 격렬한 논쟁이 되고 있는 출입국관리난민인정법(입관난민법) 개정 논란에서 볼 수 있듯이, 지금 일본 사회는 외국인 노동자를 받아들이지 않으면 버티기 어려운 시대가 되었습니다. 한국뿐 아니라 일본도 다문화 공생을 선택이 아니라 필수로 하지 않으면 안 되게 상황이 변했습니다. 이런 새로운 흐름을 반영해, 재일동포의 민족교육도 기존의 억압과 차별에 맞서는 것에 더해 다문화, 공생을 강조하지 않으면 안 되는 시대가 되었다고, 저는 생각합니다. 지금부터는 차별 극복의 한 다리가 아니라, 다문화 공생과 함께 두 기둥으로 민족교육이 걸어가야 한다고 생각합니다.

재일동포는 일본사회의 대표적인 소수자(마이너리티)입니다. 최근 일본에는 필리핀, 네팔, 스리랑카 등에서 오는 사람들이 많이 늘고 있습니다. 이런 점을 감안하면, 재일동포는 역사적으로나 숫자로나 ‘소수자들의 맏형’, 즉 영어로 말하면 ‘메조리티 오브 마이너리티스’입니다. 당연히 그들 소수자의 권리까지 대변하고 이끄는 맏형 노릇을 해야 합니다. 지금까지보다 더욱 열심히 재일동포 이외의 소수자들과 연대해야 합니다. ‘일국주의’가 아니라 ‘국제주의’가 필요하다고 봅니다.

일본 사회도 소수자들과 잘 공존공영하지 못하면 지탱하기 어려운 현실임을 생각해, 소수자와 같이 살기에 더욱 힘을 써야 합니다. 이런 점에서 재일동포 민족교육의 성패는 일본 사회의 다문화, 공생사회의 성패를 좌우하는 열쇠임을 일본 사회도 알아야 한다고 봅니다. 소수자의 대표인 재일동포의 민족교육조차 용납하지 못하는 사회가, 베트남, 네팔, 스리랑카 등의 새로운 소수자와 공생할 수 없음은 불을 보듯 뻔하기 때문입니다.

재일동포 사회와 일본 사회가 함께 재일동포 민족교육이 이런 중요성을 가지고 있다는 것을 공유할 때, 비로소 일본의 다문화 공생사회는 성공으로 향할 수 있을 것입니다. 이런 경험과 비전은 일본의 공생뿐 아니라, 한국, 동아시아, 세계의 공생을 위한 좋은 길잡이가 될 수 있다고 봅니다.

여러분, 더욱 넓고 더욱 멀리 세상을 보면서, 세상을 바꾸는 민족교육을 만들어 나갑시다.

최근 우리 오사카총영사관에서는 민족학교와 민족학급 학생들의 그림을 1층 회의실에 ‘사제동행 아트쇼’라는 이름으로 전시하고 있습니다. 이것은 총영사관이 우리 동포사회에 보다 친근하게 다가서기 위하여 기획되었습니다. 아울러 보다 많은 사람들에게 민족교육을 위한 우리들의 노력을 알릴 수 있는 기회를 제공할 수 있을 것이라고 기대하고 있습니다. 총영사관을 민족교육의 체험학습장으로 활용해주시기 바랍니다. 우리 총영사관도 여러분이 가는 민족교육의 여정에 언제나 함께 하겠습니다.

마침 이번 연수회는 우토로마을, 아메노모리 호슈암, 우키시마마루 순난지, 단바망간기념관을 더듬는 길로 짜여 있습니다. 그 속에는 아픈 역사도, 좋은 역사도 있습니다. 역사 탐방의 의미는 흘러간 일을 교훈 삼아, 밝은 미래를 설계하고 나아가는 데 있지 않을까 생각합니다. 오늘의 연수가 그런 길로 나아가는 기점이 되길 바랍니다. 마지막으로 “어리석은 자는 경험에서 배우지만, 현명한 자는 역사에서 배운다”라는 프로이센의 재상 비스마르크의 말을 상기하면서 저의 강연을 마치겠습니다.

098j 民族教育の意味をあらためて熟考した一日

11月最後の日30日、在日コリアンが集住する大阪市生野区みゆき森小学校の民族学級開設30周年記念式典が開かれました。式典に続いて民族学級の生徒の学芸発表会もありました。

厳しい条件のなかで、韓国の文化、韓国の言葉、韓国の歴史を教え学ぶ民族教育関係者を激励する意味で、私は式典に出席しました。来賓の紹介や祝辞もなく、純粋に学校関係者を中心に行われている行事ですが、韓国総領事の参加が些少なりとも力になればと思い、喜んで席を共にしました。

みゆき森小学校は全校生100人余りのうち70%程度が韓国にルーツを持っており、韓国や朝鮮籍の学生は10人程度だといいます。このような特性のため、学年ごとに1クラスずつ民族学級を設置しており、ここで生徒たかは1週間に1回ずつ、韓国のことを学びます。民族学級の授業だけを担当する常勤教員もいます。

常勤教員もなく時間講師だけで運営している他の学校の民族学級に比べ恵まれていますが、最初からそうだったわけではありません。30年前に民族学級を開設した時は、子どもに韓国のことを教えてくれることを望む保護者たちがお金を集め、民族学級の講師の給料を支援することから始めたといいます。この学校で20年間民族学級を担当してきたホン・オゴン先生は民族学級開設のために努力した10年を加えると、30周年ではなく40周年というのが正しい、と感慨深げに目がしらを押さえました。

こうしたことが親の民族教育の拡充要求運動に支えられ、常勤教員を置く民族学級へと成長したのです。そして、民族学級の活性化などが評価され、2012年にはユネスコスクールとして認められました(2018年10月現在、日本の小学校552校が加盟しているが、みゆき森小学校は加盟していない)。ユネスコスクールとはユネスコの理想を実現するために、平和と国際連帯を実践する学校のことをいいます。

教員たちがサプライズショーとして演出したアリランの歌に合わせたサムルノリなどの後に、生徒たちの発表会が続きました。次の約束のため、私は発表会の冒頭部分だけ見て出なければなりませんでした。最初の発表は2、3、5、6年の生徒によるサムルノリと扇の舞、演劇などを織り交ぜたものでしたが、涙が出るほど感動的な発表でした。果たして韓国の生徒たちが同じ程度にできるかという気さえしました。

物おじすることなく思いっきり韓国文化を誇示する生徒たちの姿を後にし、残念ながら、校門を出なければなりませんでした。民族教育の意味をあらためて熟考した一日でした。私が見られなかった発表も、おそらく感動的なものだったに違いありません。一を見て十を知るといいますから。

098 오사카시 이쿠노구 미유키모리소학교 민족학급 30주년 기념식

11월의 마지막 날인 30일엔 재일동포가 많이 몰려 사는 오사카시 이쿠노구에 있는 미유키모리소학교 민족학급 개설 30주년 기념식이 열렸다. 기념식에 이어 바로 민족학급 학생들의 학예발표회도 있었다.

나도 어려운 여건 속에서 우리 문화, 우리 말, 우리 역사를 가르치고 배우는 민족교육 관계자들을 격려하는 뜻에서 기념식에 참석했다. 개별적인 내빈 소개나 내빈 축사도 없이, 순수하게 학교 관계자 중심으로 진행되는 행사이지만 한국 총영사의 참석이 이들에게 작은 힘이라도 되길 바라며 기꺼이 자리를 함께했다.

미유키모리소학교는 전체 학생 100여명 가운데 70% 정도가 한국의 뿌리를 가지고 있고, 한국 또는 조선적의 학생은 10명 정도라고 한다. 이런 특성 때문에 학년마다 한 학급씩 민족학급이 설치되어 있고, 여기서 학생들이 일주일에 한 시간씩 우리 것을 배운다. 민족학급 수업만을 담당하는 상근교사도 있다.

상근교사도 없이 시간강사로 운영되는 다른 학교의 민족학급에 견줘 형편이 좋지만, 처음부터 그런 건 아니었다고 한다. 30년 전 민족학급 개설 때에는 자녀들에 우리 것을 가르쳐 주길 바라는 부모들이 돈을 모아 민족학급 강사 월급을 지원하는 것으로 시작됐다고 한다.

이 학교에서 20년간 민족학급을 담당해온 홍우공 선생은 민족학급 개설을 위해 노력한 10년을 더하면, 30주년이 아니라 40주년이라고 하는 게 맞다면서 감개의 눈시울을 보였다.

이러던 것이 학부모들의 민족교육 강화 요구운동에 힘입어 상근교사를 두는 민족학급으로 발전되었다. 그리고 2012년에는 민족학급 활성화 등의 덕택으로, 유네스코학교로 인정되었다. 유네스코학교란 유네스코의 이상을 실현하기 위해 평화와 국제연대를 실천하는 학교를 말한다.

선생님들이 깜짝쇼로 연출한 아리랑 노래에 맞춘 사물놀이 등을 끝으로, 학생들의 발표회가 바로 이어졌다. 그러나 다음 약속 때문에 발표회 첫 부분만 보고 나와야 했다. 첫 발표는 2, 3, 5, 6년 학생이 사물놀이와 부채춤, 연극 등을 함께 섞어 펼쳤는데, 정말 눈물이 날 정도로 감동적이었다. 과연 한국에 있는 학생도 그 정도 할 수 있을까 하는 생각이 들었다.

전혀 주눅 들지 않고 마음껏 우리 것을 과시하는 어린 학생들을 뒤로 하고 아쉽게 학교 문을 나섰지만, 민족교육의 의미를 다시 깊게 생각하게 한 하루였다. 아마 보지 못하고 나온 발표들도 감동적이었을 게 틀림없다. 하나를 보면, 열을 알 수 있으니까.