050j 朝鮮通信使に随行した外交官の雨森芳洲

25日、炎天下のなか滋賀県にある朝鮮通信使の関連施設と遺跡を訪ねました。大阪から片道二時間はかかる遠方なので、オフィスには寄らずに、自宅から雨森芳洲庵がある長浜市高月町に向かいました。

雨森芳洲(1668-1755)は壬辰倭乱(1592-98年 文禄慶長の役)の1世紀後に、日韓友好に尽力した人です。朝鮮通信使一行が日本を公式訪問した際、外交官として二度随行しています。「戦わず、欺かず、誠意を尽くして隣国と交際すべし」という誠信交隣外交の主唱者であり、1990年に盧泰愚(ノテウ)大統領(当時)の訪日宮中晩餐会の祝辞で紹介され、韓国にも広く知られるようになりました。

はじめに、芳洲翁の故郷である高月民俗資料館を訪問し、高月の地域文化と韓国との交流について見学した後、30分ほど離れたところにある芳洲庵に行きました。ここでお茶をいただきながら芳洲翁にまつわる話を聞き、彼自身が残した書籍を拝見しました。

芳洲庵で関係者と昼食を共にしたあと、朝鮮通信使一行の主副従事官が宿泊した彦根城近くの宗安寺と、通信使一行が途中で休憩した近江八幡別院を見て回りました。近くにある通信使が通った街道を表示する「朝鮮人街道」という標石の前で記念写真も撮りました。

一日中ほとんど車に乗って移動した厳しい日程でしたが、滋賀県と韓国の切っても切れない関係を確認した一日でした。

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s